2013年3月25日月曜日

『慣れの心理学〜或いは常態化の心理学〜』


本日は防府へ参り、二年前新人だった駅員さんと乗車二度目のタクシー運転手さんのお世話となった。

駅員さんは新人の頃とてもおどおどとしていてその緊張感が此方にもビンビン伝わりそれがピリピリとした空気感に変わりとても違和感を感じていた。

二年後、その空気感は更にその度合いを増し、更に経年による慣れからくるだれも出てきていて余計に我々の神経を逆なでする結果となった。

一方の運転手さんも同じ。

対応は初回も二度目も此方が恐縮する程に丁寧であったが丁寧で有る事と学習意欲が有る事とは同義ではない。

私が利用しているタクシーは他のタクシーよりも僅かだが利用運賃が安い。
所謂リタイヤ組が多く他からの転職組がとても多い。
つまり経験年数から言えば他のタクシー運転手よりも豊富な人が多い。
実際車椅子の扱いに慣れておられる方もとても多く我々も助かっているが今日の御仁は1度目も二度目も扱いに全く慣れておられなかった。

我が街は高齢化住宅が多く所謂限界集落がとても多い街で限界集落の中で日本一高齢者が多い街として全国に知れ渡っている。

当然福祉にも県を上げて取り組んでおり老人福祉や身障者福祉は他県と比べても充実していると言って良いだろう。

その恩恵を受けてかタクシー利用客の多くは体の不自由な人か高齢者、次いで他県からの利用客が多い。

他県からの利用客が少ないというのも又、常態化しやすい原因の一つであろうと思う。
他県から来る方ならばどうせ次は合わないだろうと好きかってを言われるかもしれないが同郷人だと次も何処でお世話になるかわからないからとお茶を濁される方も少なく無いであろう。

実際、今日買い物途中も大学時代の先輩や行きつけのガストの店員さん等多くの同県人を店内で見た。

田舎故に行動パターンが同調化しやすくこいつストーカーしてるんじゃないか?と疑いを持ちたくなる程同じ場所で同じ人を見掛ける

何の事は無い行動様式に類似性が有りその類似性がとても高いというだけの話である。
そしてその類似性は選択肢が少なければ少ない程高くなる。それを回避させる為には一極集中させず人口を上手く分散させる必要がある。

特に防府はサティかロックタウンしか大きな商業施設がないので駅からのアクセスが良いサティか駅からのアクセスは悪いが選択肢が多いロックタウンを選ばざるを得ない。

こちらとしては電車で10分足らず、車での移動を考慮しても20分片道で移動できる利便性から防府へ行く回数の方が此処近年圧倒的に増えている。
そしてそれは我々だけでなく我々と居住区やワードローブを同じくする方々も同じ考え方のようである。

長時間移動や高い移動費を掛けずともある程度の買い物が出来ある程度の満足を得られる場所へ人は移動しやすい傾向にある。

されどそれは小さい満足であり常態化しやすく常習性が高い。
店側にして見れば有難い事のように思えるが常習性が高いという事はその分飽きられやすいという面もありウインドーショッピングはしても買い物は他県でという人も増えてくる。

実際休日だというのに人はまばらで行き交う人々の手元に買い物袋を見て取れる事は少ない。
時間潰しではないがそれなりに楽しい時間を過ごせればそれで良いとする人が増えている。
実際、愛方も地元でも買える商品ばかりで此処でしか手に入らない物は一つも買わなかった。

これは生産と消費のバランスシートからするととても悪い例である

それを改善するには商業施設を増やし選択肢をもっと増やし競争意識を高める事。
売り手の意識を高め買いたいという消費者の気持ちを奮い立たせる事。
安値で勝負するのではなく中身の充実度で安さを強調する事、その際にお得感を如何に演出するかが大事である。

量より質。

今迄は増量嗜好だったがこれからは良品嗜好にシフトすべき時に来ていると思う。

大量生産大量消費の時代は既に頭打ちに来ている。

これからはより良い物をお手頃価格よりも少し割高になるがその分ラグジュアリーな雰囲気を味わえる物がもっともっと流行るであろう。
というかそうしていかないと残り少ない資源を有効活用出来なくなる。
地方の商業施設もその意味において過渡期に来ているのかもしれない。

そう思いながら帰宅の途に着いた。

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