2013年3月8日金曜日

『自信喪失の心理学〜或いは非難の裏側にある心理学〜』


先日或るご質問を頂戴した。

家柄も学歴も職歴も申し分なく家事育児も完璧に熟す主婦なれど人を非難する性格故に周りと馴染めない。何故彼女は其処まで人を非難するのだろう?と。

私は一言でそれを片付けました『自信がないからです』。
相手はこういいました『自信がない?家柄も学歴も申し分無いのに?』と。
私はこう変えしました『それ故です』
相手の頭の中は大きな???がきっと浮かんでいたに違いありません。

一般的解釈で考えれば高学歴で家柄も良く職業的地位もある人が自信がないとは到底考えられないでしょう。おまけに家事育児も完璧にこなす主婦がです。

ですが実はそれが大きな落とし穴です。

先ずは家柄、家柄が良ければ良いほど今度は良い家柄同士の中で順列が決まります。
職歴も同じ、同じ職歴を持つ物同士の中で自分と他者を比較します。

人は自分と他者を比べる際、下位と比較して安心するタイプと上位と比較して上を目指すタイプに分かれます。

前者は伸び代が少ない分精神的ストレスは少ないです。
後者は伸び代は多いですがその分係るストレスは相当な物になります。

例えば家柄も代々続く由緒ある家柄と所謂成り上がり者とでは意識は全然違います。
前者は生来型遺伝子が闘争を好みませんが後者は戦いの中で得た地位なので闘争心が強すぎる生来型遺伝子を持って生まれてくる場合があります。

更に言えば家柄も学歴も自分自身の力で得た物ではありません。
自らが働いて学費を稼いだ場合を除き大抵は親の力を借りるケースが殆ど。
職歴はそうとは言えませんがこれも親のコネを利用した場合はやはりそうなります。

すると自身の力で得た物は家事育児以外無い事になります。
故に家事育児を完璧にこなします。

されど他の方は例えば家柄もなく学歴も無くと言う人はハングリー精神に長けているので器用な人が多く自分一人の力で何でもできる人が多い。それはそうしないと生き残れなかった環境が学習型遺伝子を育て器用にして行くのです。

生きて行く為に…。

此処で大きな差異が生まれてきます。

生まれつき何もかも持って生まれ自分で努力して勝ち取った経験が少ない人
生まれつき恵まれない環境の中で育ち努力をして多くの物を勝ち得た経験を持つ人。

上記だけを比べれば前者が後者に嫉妬する理由が解らなくもないと思いませんか?

本当に自分に自信がある人は決して人を罵倒したり非難したりはしません。
それは非難や罵倒が自と他を比べ自分が下位に置かれている事を認める行為だからです。

下位に自分の存在があればこそ上位にいる者を羨ましいと思い罵倒し非難します。

私も良く人から罵倒や非難をうけます。

私なんぞは家柄も学歴も人様にそんなに自慢できる物じゃ有りません。
収入や身体的不自由さを加えれば同情こそされ大抵は非難されない対象の人です。

ですが近隣の者からは大抵侮蔑や非難を浴びます。
勿論私自身の好戦的な性格も災いの元かもしれませんが多くの場合私の広範な知識に対する嫉妬心からです。それが言葉に態度に出ています。

これが例えば五体満足で家柄も良く学歴も職歴も申し分なくというなら話は別。
五体が満足でない者はまだまだ田舎では社会的地位は低く下位に位置付けられています。

されど下位に位置付けられる者が自分より知識的に優れていればそりゃあ面白くない。
当然非難や罵倒の対象となります。

私を非難する多くの方々は自らの無知さを恥じ、それを隠す為に私を罵倒します。
故にそういう方々にはそういう方々にしかない知識や学識をお示しします。

つまり”私には無い物”をお示しします。

すると大抵は溜飲が下がり非礼を詫び罵倒や非難が賞賛に変わります(笑)

これも又、立派な処世術でありストレスを軽減させる社会貢献であると自負しています。

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