2013年1月14日月曜日

或る帰国子女の悲劇(喜劇?)。

大学時代を米国で過ごし帰国、そのまま英語力を活かし職場に就職。 したまでは良かったが生憎外国人のお客は少なく時だけが無為に過ぎた。 数年後、彼女の本領を発揮する事件が起きた。 外国から団体様が彼女の勤務する駅に降り立ったのだ。 やっと自らのスキルを試せる時が来たと意気込んだのも束の間、全く英語が通じない。 一生懸命身振り手振りで説明を試みると相手は全員小首をかしげるばかりである。 其処へある少女がやってきて流暢な英語力で難局打開を果たした。 帰国子女の女性は面目丸潰れ、一躍少女は時の人となった。 ではこの違いは何故起こったのか? 答えは常態行動にあり。 帰国子女の彼女は長期留学経験者である事に胡座をかき帰国後英語を鍛えなかった。 少女の方は今まさに英語の勉強真っ最中であり、常、英語漬けの毎日であった。 生活の中に英語がある少女と生活の中に英語がない帰国子女。 これが二人の勝敗を見事に分けたのである。 その後自らのプライドを傷つけられた帰国子女が猛勉強を再開したのは言うまでもない。 『昔取った杵柄』とは長年経験しそれが”常態化”してこそその本領を発揮する。 幾ら短期留学経験が有ってもその後それを活かせなければ杵柄は使い物にはならない。 これが常態行動の不思議である。

0 件のコメント:

コメントを投稿