常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2013年1月22日火曜日
『逆説的心理療法について』
我が元には年間相当数の同胞が来訪される。
その内、”自分に自信がない”人の数は全体の比率から見ても決して少ない数ではない。
そして悲しいかなその数は年々増加傾向にあり昨年一年間で軽く100名は超えている。
そういう方々に私は以下の質問をいつも差し上げるようにしている。
私『貴方は自分に自信がない事に自信がありますか?』
此処で多くの同胞は『はい』と答えるが一部の同胞は『嫌、それは自信がありません』と答える方もいる。本当に”自信がない”のは前者ではなく実は後者の方。
前者の方には私はこうお応えを差し上げている。
『”自信がない”事に”自信がある”のなら結果的に”自信はある”事となり”自信がない”事にはならない。何故なら本当に”自信がない”人は自分が”自信がない”事にすら”自信”をもてないのだから』と。
詭弁というなかれ、実際後者の人のように”自信がない事に自信が無い”人も居るのだ。
自信を持って”自信がない”と言える人は”自信がない”と言えるだけ”自信はある”人である。
では何故”自信がない”と思い込んでるのか?それは”自信を持つ方向性”を違えているから。
”自信がない”とする多くの人は人から色々と言われている人が多くそれを鵜呑みにしている人がとても多い。
例えば体が大きい人で体力に”自信がある”でしょ?と言われたり学校の成績が良い人が”頭に自信があるでしょ?”と言われたりと言う風にそれをいう人の中にそれがない人がその無い事象に対して勝手な思い込みで”自信がある”と言われてしまう。
されどそういう人は生来的にそういう要素を持って生まれてきているので”自信を持つ”必要がない。
身体能力や頭脳明晰と言う物は勿論努力に勝る物はないが生来型遺伝子の継承という部分も決して少なくない。
故に”最初から持っているもの”に人は中々”自信を持つ”事は難しい。
人が”自信を持つ”メカニズムはそれを持つに値する努力をした者のみである。
自分で努力をしそれを勝ち得た者のみがそれを”自信をもって自信がある”と言えるのだ。
故に生来型遺伝子の継承により生来的に持っている能力に関しては”自信がなくて”当たり前なのである。
先ずはそれをお教えし自らの能力が人からは”羨ましい物”であり”自信を持つに値する物”である事をお教えする。
その上で自らが”求めている自信”を得れる方法をお示ししそれを得られるようお導きを差し上げる。
その結果それを得る事が出来た者は自らに始めて”自信”を得てそれ以降”自信がない”とはいう事はない。
翻り”自信がない事に自信がない”人は”本当に自信がない”人である。
そういう人は周りから色々と馬鹿にされ否定され続けた人に多く見られる。
だが人から色々と馬鹿にされ否定されると言う事はそれをする原因が必ず存在する。
つまり”その人にしかない隠れた才能”は絶対に存在しそれ故に人はそれに嫉妬しそれ以外を攻めたて”自信を持てなくする”のである。
なればその”自分自身が気づいていない他の人にはない自信の種”の存在を明らかにしそれを”目に見える形”にしてあげれば人から揶揄され馬鹿にされても反論材料を与えられる。
さすれば”自信がない事に自信が無い”人も”自信がある”人にする事ができる。
私自身も人に”自信を与える”事を生業としているが自分自身に”自信があるか?”と問われたら”はい”とはとても言い難い。
されど同胞の為に命を掛けても治す自身はあるか?と問われれば迷わず”はい”と言える。
そうでなければこの仕事を二十年も続けられなかったと思う。
人間誰しも何か一つ位は”自信”を持てる物はある。
それを”目に見える形”にして示してあげ”自信を与える”のも我々の大事な仕事の一つ。
今日も私はそんな”自らの隠れた自信”に気づけない人の元へ参ります。
と言う事で今日も最後のフォンセッションを終えそろそろ休ませて戴きます。
皆様方も良き夢をm(_ _)m
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