2013年1月30日水曜日

『容認』と『黙認』の心理学的違いとネット内虐め撲滅対策法について

『容認』と『黙認』は全くの別物である。 言うなれば『公認』と『非公認』位の違いがある。 前者はその行動を知った上でそれを受け入れている。 後者はその行動を受け入れてはいないが敢えて見て見ないふりをしているだけである。 最近この『容認』と『黙認』を玉石混交している人間を数多くネット内で見掛ける。 例えばTwitter等での有名人に対する批判スレッドがその際たる例である。 あの手の輩は下手に騒ぐと余計”火に油を注ぐ”事になる、所謂”炎上”という奴。 それを逆手にとって人気取りをする上手も最近は出て来ているがそれも限度物。 炎上タレントは生命力が少なく飽きられたら誰も相手にしてくれなくなる。 最近でいうと某巨大ガールズユニットの元センターを真似たタレントだろうか。 ああいうのは打ち上げ花火と同じでパッと咲いてパッと散る、 所謂『一発屋』が多い。 過去にもそんな『一発屋タレント』の凋落ぶりは多く見ている筈である。 何も事は有名人だけに留まらない。 一般人相手でも挑発したりからかったりを生業?としている悪趣味の輩がいる。 本人的には”親愛の情”を示しているつもりであろうが周りからすると”空気の読めない奴”で大抵は終わる。 されど”空気の読めない奴”なので下手に喧嘩を売ると”飛び火”され被害を拡大させられかけない。 それは困るので皆、適当にあしらい”黙認”していている。 されど本人は誰も何も言わないので自らの行動を”容認”されたと思いどんどん暴走はエスカレートしていく。 ネットの世界は非常でそういう”KY”な人間は切られてお終いである。 リアルの世界では中々そう簡単には行かないがそれがネット社会の恐ろしさである。 そしてもっと恐ろしいのは”その人目線”で相手に見えない場所での批判スレッドが立つ。 更にリアルにその人を知らない人は信用に足る人物が批判している人を無条件に避ける。 こうなるとネット内で孤立無援となりその場を去るしかなくなる。 最近はこれを逆手にとって”ネット内虐め”を行う人間も多数各所で見掛ける。 恐ろしいのはそれが元で人間不信に陥りリアルな人間関係にすら大きな影を落とす事。 被害者はリアルとネットの区別がうまくつかないのでそれをリアルの世界に持ち込む。 あくまでネットはネット、リアルはリアル、相手もそれ位の区別はつく。 そうじゃないと今度は下手に現実で批判をした人間が批判対象となるからだ。 されど批判をされた側はそれが解らないので人間不信に陥り我が門を叩く。 こういう由々しき問題に対して我々はネット内での解決に日夜勤しんでいる。 ネット内で起こった事件は基本ネット内で解決をするというのが我々の考え方。 複数人の仲間を中に入れて批判をした人間に理路整然とした反論を行う。 感情論で攻めては我が同胞にしたのと同じレベルに落ちてしまうのでそれはしない。 そして何より大事な事は同胞に”私の仲間”だと悟られず”味方意識”を与える事。 ”ネット内で自分は一人ではない”という意識を与え戦う意欲を与える事。 そして最終的に被害者自身の力でネット内で反論させる事。 それが我々の最終目的地。 集団で理路整然と責められ且つ被害者が理路整然と反論を行えば今度は形成逆転となる。 こうやってネチケット違反者を撲滅して行くのも心理職の大事な仕事の一つである。 心理職のフィールドは案外広いのだ。

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