常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2013年1月18日金曜日
”誰でも分かる表現”という物の常態行動心理学的矛盾について
”誰もが解る表現をしましょう”と教える人がいるがそれは大きな誤りである。
例えば英語圏の人に日本語で説明をして理解が叶いますか?逆も又真なりです。
『理解』とは『理を解する』と書きこの場合の『理』とは『ことわり』と読み『ことわり』とは『心のあり方及び方向性』とWikipediaにあります。
つまり『理解』とは相手の『心のあり方及び方向性を解する行為』という事です。
さて、ここで原題に戻りましょう。
人によって考え方、つまり”心の在り方及び方向性”は皆、違います。
更に同じ人であったとしても昨日と今日、1分前と1分後では”心のあり方及び方向性”は違います。
同じ人間ですらそうなのにこれが不特定多数となるともう大変です^^;
てんでばらばらもう手がつけられません。
よしんば同じ時間同じ場所に居ても場の共有率は上がるのである程度の同方向性は示たとしても個々の方向性はやはり微妙に違います。
故に”誰にでも解る表現をしましょう”は到底不可能な事なのです。
例えば”サルでもわかる”シリーズが一時期とてももてはやされました。
例えば”こんな事子供でも解るわ’と人を叱責する際に使う常套句。
されど上記の場合も、猿により理解は様々であり子供により解釈も様々です。
全ての猿、全ての子供が平均的な理解を示すと言う事は有り得ません。
故に”誰にでも分かる表現”という物はこの世には存在しません。
唯一有るとするならばそれは”伝え手の熱意”だけです。
これだけは凡ゆる柵から解放された唯一の伝達手段です。
年代や性別や国や社会階層等凡ゆる問題を超える唯一の方法です。
”元気元気元気が有れば何でもできる”は某元プロレスラーの名言。
されど私はこう言いたい。
”熱意熱意熱意熱意が有れば多くの人の賛同は得られる”と。
私は賢さは余り有りませんが心理学そして同胞に対する”熱意”だけは誰にも負けません。
それ故に二十年心理職一筋でお仕事が叶ったのだと手前味噌ながら自負しています。
熱意に勝る技は無しと言うのが持論です。
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