2013年2月26日火曜日

セクシャルハラスメントの意外な適用範囲


セクハラとは一般的には異性に向けて性的嫌がらせをする事を指すように思われがちだが最近は然に非ず。

同性へ向けてもセクハラ行為は行われ法的罰則を課せられている。

私が扱った案件内だとイケメン男性社員が同輩の女性社員に軽いエッチジョークを飛ばした際、同席していた中年上司が『それセクハラだよ?』とニヤニヤ笑って言ったそうだ。

セクハラとは読んで字の如く『性的嫌がらせ』である。

『嫌がらせ』はそれを言われた相手が『不快』だと感じた時に成立する行為。

されどイケメン社員に言われた女子社員は顔を赤らめるだけで不快に感じていなかった。

それを窘められ辱めを受けたイケメン男性社員は酷く心を傷つけられた。

これは正に『性的嫌がらせ』である。

更に上司はイケメン社員が反論できない立場に有りながらそれを非難したと言う事で『パワハラ』も適用された。

事は何とか示談で済んだが二度と上司は”要らん事”を言わなくなったそうだ。

相手が同性だからと安心して軽口叩いていると訴えられますよ?

ご用心ご用心。

夜の心理相談室(笑)


例えば夜の夫婦の営みの時旦那さんが”今日は疲れているんだよ”と営みを断るシーン。

あれは実は嘘。

生物学的には人間は疲弊すればする程種の保存の法則に則って性欲は増す物です。

事実そういう時に目の前に絶世の美女が立っていれば男性自身は反応します(笑)。

問題はマンネリ化にあり。

動物と違い人間は営み自体に快楽を求めるようになりました。

人間の寿命が他の生物と比べ長寿命になった理由の一つに種の保存に快楽を求めるようになったからというのがあります。

されどそれが快楽である以上マンネリズムによる精力減退はこれまた種の保存法則に則って居ます。

つまりよりよい遺伝子を残したいという生存本能が働く為。

そうならない為には創意工夫が必要。

勿論女性ばかりが一方的に頑張る必要はありません。

寧ろ種を残す側の男性が創意工夫をしなくてはなりません。

夫婦の営みはお互いの共同作業により成り立つ物です。

夫婦が一番最初に行う共同作業が夜の営みです。

お互いの愛し愛し合う気持ちを如何に高め会えるか?

そこが実は一番大事だったりしますw

『男は外に出たら10人の敵がいるんだよ』というお父さんへ。


『男は外に出たら10人の敵がいるんだよ』というお父さんへ。

女性はその何十倍も敵がいるんですよw

女性にとっては自分より優位性を持っている存在は例え身内でも敵になります。

それは生物学的生存欲求が成せる業。

自分より綺麗だったりスタイルが良かったり何かしら自分より秀でている物を持っている人はその分男性の目に止まりやすく生物学的生存率が上がります。

それは裏を返せば自らの生存率を落とす結果にも繋がります。

故に表には出さぬ迄も敵の数で言えば女性の方が圧倒的多数なのです。

つまり四方八方敵だらけ。

敵の数だけを純粋に比較したらそれこそ男性の比ではありません(笑)

そこら辺りを少しは理解をして上げてくださいね。

女性も常戦っているのです。

泌尿器系疾患の常態行動心理学的改善方法について



頻尿、尿漏れ等の泌尿器疾患は実は薬じゃなくても治ります。

尿漏れや頻尿は脳が尿が出た事を認識していない事により起こる泌尿器疾患。

例えば寝る少し前に多めに水分摂取し寝る前にしっかりと尿を出す。

すると脳は尿が出た事を認識し尿を必要以上に出す事は減って行きます。

大事な事は尿が出た事を五感でちゃんと認識をする事。

尿が出た音、尿が出る様子、膀胱の膨満感が収まった感覚等…。

泌尿器疾患の多くは加齢による脳の誤動作が原因の諸症状。

脳の認識が悪いと脳はそれをしなくてはいけないと思い必要以上に指令を出します。

それを抑える為には事前に脳に指令を出させちゃんと脳に認識をさせる事が大事。

例えばこれは赤子のオネショ対策にも効果が有ります。

赤子にちゃんとおしっこが出た事を認識させます。

音を聞かせ出た尿を目で確認させます。

すると尿が出た事を脳が認識しオネショの回数が減ります。

回数が減ると脳はそれを更に認識しおねしょの回数が減ります。

薬はあくまでも体内機能向上の為の物であり薬が病を治すのではありません。

病を治すのは飽く迄人間の体内正常化作用によるものです。

どうか不必要に薬に頼りそれを常態化させないで下さい。

薬物依存症とは何も麻薬だけに限りません。

こういう日常生活における不必要な薬物摂取も薬物依存の原因となります。

それが無いと不安となりそれが余計体を過敏に反応させる結果となります。

花粉症の薬物投与がその最たる悪例です。

花粉は年中飛んでいる物であり春先にだけ飛んでいる物ではありません。

それをTVやマスコミ各社で過剰報道する為に正常な人でも体が過剰反応を示します。

昔から花粉は存在していたのですからそれに人間が今迄反応しなかったのがその証拠。

情報の入手過多が花粉症を助長させている事に気づいて下さい。

情報を得る事は勿論大事です、されどその情報を精査し要らない情報を排除する事はもっと大事です。

その行為を繰り返す事で無意識的に要らない情報は五感で受け取らないように出来ます。

するとそれまで情報の過剰入手により起こっていた異常反応が収まります。

人間の体は案外そんな簡単な理由で出来てたりします。
これは私自身が我が身で以て体験した事であります。

私の確立した2000を超える理論の殆どは自分の体で実験しデータを収集した物です。
或いは被験者に許可を得て実験し情報収集した結果です。

机上の空論はどれ一つもありません。

絵空事ならばいくらでも何でも言えます。
されどそれを一つ一つ実験を元にデータを収集し証明する事が大事です。

特に心理学の分野はそれを欠かす事はできません。

これからも私は自らの体を実験体とし多くの理論を確立していきます。

その中で使える物だけを残し少しでも多くのメンタル疾患改善に寄与して行きたいと思います。

2013年2月23日土曜日

真のアンチエイジングとは何か? 常態行動心理学的解釈で問う。


紫外線カット用UVケア商品は実は肌呼吸を阻害し肌とファンデの間で熱を帯させその熱と抑え込んだ汗による肌ストレスの方が紫外線を直に浴びるよりももっと肌ストレスを肌に与えている事を知る者は少ない。

汗は体内機能正常化の為に必要な物。
それを無理矢理抑えて出さぬようにして体に良い筈がない。

本来シミソバカスは過剰な紫外線を浴びている事へのサイン。
それがあるからこそ過剰な紫外線を浴びないよう心掛ける事ができる。
それをファンデで阻害しシミソバカスをできないようにすれば長時間肌に紫外線を当てる結果となりその場は良いが長いスパンで見た時に肌へ与えるストレスは相当な物となる。

例えば加齢による皺も同じ。

皺は加齢に伴い分泌量が減った水分と油分を皺の間に閉じ込め肌の乾燥を防ぐ為に必要な物。それを無理矢理除去すればこれまた肌ストレスを与える事となり結果寿命を縮める事となる。

外から補うのと内から補うのとでは当然浸透率が違う。
肌組織全体に浸み渡らせようと願うなら外側からだけでは不十分。
本当のエイジングケアは外側からだけではなく内側からのケアが大事。

その為に必要な事はメンタルケアである。

メンタルケアを充分に行えば肌は細胞レベルで若さを保ってくれる。
花粉症と同じように過剰反応すればするほど症状は加速される。

加齢も同じ。

加齢を意識し必要以上にアンチエイジングをしようと思えば思う程メンタルは其処にフォーカスし結果加齢速度を上げる結果となる。

加齢とは重ねる物であり食う物ではない。
加齢は悲しむ物ではなく年輪を重ねて楽しむ物。

加齢は衰えで無く寧ろ新たな進化である。

そう考えた時無理なアンチエイジングこそ老化を早める愚行である事は御理解頂ける事と思う。

本当に若々しく美しい人はメイクや整形等外見的なアンチエイジングではなく心を磨き心を美しくする内面的アンチエイジングである。

年齢を重ねても尚少女の頃の輝きや恥じらいを忘れない。
其れこそが究極のアンチエイジングであると私は信じて疑わない。

そういう私は頭の中身は永遠の三歳児だが(笑)
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2013年2月21日木曜日

或る少女の常態行動心理学的物語


人の心は行動に出る、そんな場面に先日遭遇した。

場所は或るSNS内、それは同胞の何気無い”いいね”から始まった。
普段余り”いいね”をしない彼女がその日に限って我がウォールに”いいね”を残した。
しかも私のその日の全ての書き込みに…。

直様私は彼女にメッセを送り何事か無かったか?と尋ねた。

『どうして私が悩んでいる事が解ったんですか?確かに今悩んでいます。今後の進路をどうしようかと。親の勧めに従い進学するか?それとも夢を求めて上京するか…』

『答えは既に君の中で出ている…違うかい?』私は笑顔で行った。

『そっか…それもやはり先生にはお見通しだったんですね。確かにそう。既に答えは出ています。先生もご存知の通り私の家は母子家庭で母が苦労して高校迄出してくれた。学歴が無い母はその事で就職や結婚まで随分と苦労をしたそうです。だから娘の私にはそんな苦労をさせたくないと大学を出てちゃんと就職して欲しいと願っています。だけど私の目には確かに母は苦労をしたけど目が輝いていた。そりゃあ私の為に一生懸命だったっていうのは判るけれどそんな母を見ていたら私も母みたいに一生懸命働きたいって思った。』
『そしてお袋さんが叶えられなかった”夢”をお袋さんの代わりに”叶えてあげたい”だろ?そしてそれはお袋さんだけじゃない。その”夢”は既に”君自身の夢”になりつつある。』

『え?!先生何でそんな事迄知ってるんですか?!私先生は愚かまだ誰にも私の”夢”について話した事無かったのに』

『人間の心は須らく行動に出る、俺が前言った事を忘れたか?今も君は私の話を聞きながらも街宣車の音楽にリズムを合わせている、それは俺の話を真剣に聞いていないというより普段の君の無意識行動がそうさせている。そして普段の君の無意識行動がそうさせていると言う事はそれが君の夢であり君の母親が嘗て描いていた夢でもある。それは生来型遺伝子がそれを引継ぎそれを引き継いだ遺伝子が学習し学習型遺伝子に組み込んだ結果さ。お母上は経済的理由から上京叶わず歌手の夢は諦めた。だからこそ君にはその夢を叶えてあげたい、嫌、君を通して叶えたいと願っているのではないかな?既に君の夢は君だけの夢に非ず、君と母親、そしてもう一人の大切な人の”夢”でもあるんだよ。な?雄二くん』

『げ!?何で解ったンスか?何時から気づいてたンスカ?』
そう言って柱の影から髪をオールバックにした如何にも不良と言う風体の若者が現れた。

『雄二?!アンタこんな所で何やってんのよ』驚く彼女。

『なぁに簡単な事さ、君が悩んでいる事を知っていたのは俺だけじゃないって事さね。君を大切に思う人は皆、君の”行動の変化”に気づいていた。それは君の行動が解りやすいという事ではなくそれだけ君の事が大好きで大事だから無意識に君の行動に着目していた。だからこそ君の変化にも気づけた。君の”夢”に気づけた。これも常態行動の成せる業さね』

『雄二…』

その後二人は上京、彼女は”夢”を叶える為日夜頑張り続け、彼はそんな彼女を”影”で支え続けた。メジャーデビューこそ叶わなかった物のインディーズで活躍した彼女はそのお金で母親を田舎から呼び寄せ小さなライブハウスを作り其処で自分たちと同じ夢を持つ多くの仲間と今も音楽活動を地道に続けているという事です。

2013年2月20日水曜日

バレンタインは”思い”を伝える日。ではホワイトデーは?


バレンタインデーも終わり街は一気にホワイトデーモードに。

『バレンタイン心理学』では金額ではなく思いを伝える事を主眼に論を展開しましたが『ホワイトデー心理学』ではその逆。

如何にお金を掛けるか?或いはゴージャスに見せるかを主眼に置いて書いています。

それは何故か?

心理学的及び生物学的における”生存欲求”を高める為です。

お金を掛ける価値があるという事。

大事なのは金額ではなく今の自分の収入範囲内でギリギリ頑張った姿勢を見せる事。

言わば”誠意”です。

バレンタインデーで頑張ってくれた彼女や奥さんに今度は彼氏や旦那さんが精一杯頑張る。

されど彼女や奥さんが頑張ってくれたよりも少しだけ多く頑張ってみる。

人間の脳は等価交換の法則に則り同価値の物を求める性質があります。

されど女性の場合その同価値の基準値が若干男性よりも高い。

それは同価値に期待値がプラスされているからです。

その期待値は中々男性側からは見え難い物。

故に一生懸命頑張っても余り喜ばれない事もあります。

故に”頑張っている姿”を見せる事が大事。

”頑張っている姿”をしかも見せかけではなく”本気で頑張っている姿”を見せる事でその”期待値”を満たせます。

女性が欲しいのは品物だけじゃなく自分の為に此処まで頑張ってくれたという証なのです。

ホワイトデーはそんな男性の”本気の姿”を是非愛する人に見せて上げてください。

きっと惚れ直しますよ?

今日も元気に頑張りましょう。

2013年2月19日火曜日

常態行動心理学的小ネタ集


その一

通販番組等で最近お徳用商品が沢山出ているのには訳がある。
視覚的にそれを捉える事で脳に刺激が行き人はそれを安いと認識し購買欲が高まる。

されど実際大量には要らないので御裾分けするこれも販売者にはお見通し。

された方は気になってその番組をみるそして又購買欲に駆られ商品購入を。

購買欲と宣伝効果の両方を狙った『漁夫の利』戦法に騙されてはならぬ。

その二
自動車事故の増加に伴い自動車保険各社も事故対応度を売りにしている所が多い。

されど自動車保険の充実すぎる事故対応保証は交通事故を助長させる行為である。

特に被害者との示談交渉等を加害者と接見させず行うは加害者に罪悪感を与えず同じ過ちを繰り返しやすくなる。

事実それで私は二度同じ人物に車で轢かれている。

二度とも間に保険屋が入り加害者の罪悪感はゼロ。

今もその方は事故を繰り返しているという。

本当に交通事故を無くしたいならば示談交渉は本人にさせるべし。

その三
常態行動心理学とは人間の無意識行動の中にその人の心模様が映し出される事に着目した我が独自理論。

先日も彼女が今の職場に不満を持っている事を察知。

それはデート中彼女が選ぶ食事と服により明白。

基本菜食主義で魚大好き彼女がハンバーガーを選び基本大人しめでカジュアル好きの彼女がいつもより色彩豊かな色と際どいカットの服を選択するはストレスが溜まっている証。

事実それを告げた所地味な事務服と終わり無きルーティンワークが相当ストレスとの事。

高が制服と言う無かれ、女性にとっては仕事着は男性における戦闘服と同じ位置づけ。

戦闘意欲をかき立てるも戦意喪失するも女性の場合制服一つにかかっている。

例えば女子高生が高校を選ぶ際偏差値は勿論だが制服が可愛いのも選択基準の一つ。

女性にとってお洒落は自らが生きている言わば生存証明と同じなのである。

以上のように人間の心は須らく行動に出るものである。

2013年2月18日月曜日

常態行動心理学と脳科学の不思議な関係について



同業者潰しに遇いクライアントを一人失いました。

裏で色々と画策されたようなのがクライアントを見ていたらバレバレです。

人は人を写す鏡です、『親と子は合わせ鏡』だというのと同じです

その人をみればその人の周りにどういう人がいるか解ります。

以前大学時代の女性の後輩が好きな男性のデートプランを立て相手の一挙手一投足を読んだ旨の話をしましたがこれも具に後輩を見ていた為にその後輩の目に映る意中の男性が見えた為に出来た事。

言葉は嘘をつきますが行動は嘘をつかない。

それが『常態行動心理学』の肝です。

我が2000を超えるオリジナルセラピーの一つ『遠隔セラピー』もその一つ。

人間には誰しもその人固有の”場”を持っています、老若男女を問わず、国を問わず。

それはその人が生きてきた過程において脳が学習した学習型遺伝子と生まれながらにして親から受け継いだ生来型遺伝子によって構成される場の事です。

生来型遺伝子によって構成された場は脈々と受け継がれある種聖域化します。

日本の伝統工芸の世界がこれに該当します。

それに反して新作落語や近代美術等は後者に該当します。

されどそれらも時を経る事により古典となり名作となって行きます

一般的に芸術は右脳、言語は左脳とされていますが実は然に非ず。

右脳が右脳として或いは左脳が左脳として機能するのは片方の脳が存在しているが故。

実際事故等で片方の脳を失っても残った片方でその両方の機能を果たせるといいます。

それは常態行動心理学的には実に理に叶っています。

人間の日常生活における無意識行動が常態行動と呼ばれる物です。

それは先に述べた生来型と学習型遺伝子によって得られた五感情報により決まります。

右脳が右脳として左脳が左脳として機能するのはこの常態行動がその根幹にあります。

つまりそれを変える事で右脳と左脳の働きを逆にしたり統合出来たり出来るのです。

脳科学の分野ではまだまだ未開発の分野が沢山眠っています。

それは脳を脳科学の分野だけで考えようとする事が原因の一つ。

凡ゆる分野の専門家と意見を戦わせる事により脳科学の分野は飛躍的に発展します。

私はこれからも一心理学者として脳科学の不思議に取り組んで行きたいと思っています。

何故ならそれも又、”心”が介在しているからです。

”心”が介在する全ての事象は”心理学的分析が可能”というのが持論。

これからも”心”に関する凡ゆる分野に首を突っ込み私なりの独自の視点でそれを探求し明らかにして行きたいと思っています。

と言う事で今日も最後のフォンセッションを終えそろそろ休ませて戴きます。

2013年2月17日日曜日

『ど忘れの心理学〜或いは常態行動心理学的記憶障害の心理学〜』


例えば顔は出るんだけど名前は出ない時って有りませんか?私は良くあります(笑)
さっきも駅員さんの顔は出るんだけど名前が出ず母に説明ができなかったw
こういう時『あれ?俺記憶障害?』と自らの脳を思わず疑ってしまいます。
これが高齢者ともなると『もしかして認知症?』と思わず驚愕してしまう方も。
されどこれは記憶障害でも認知症でもありません。
記憶における脳の優先順位の問題なのです。
人間における記憶とは五感全てを使い本来行われる物であり脳はそれら五感から得た記憶情報を処理している器官に過ぎません。
脳が記憶をしているのではなく五感が記憶をしている事を先ず念頭において下さい。
五感が記憶をしているという事はその記憶に順列が発生する事は自明の理です。
目で覚え、耳で覚え、触感で覚え、鼻で覚え、舌で覚えという風に必ず順番があります。
面白い話を一つすると”人の名前”を覚える際人間が使う器官は脳だけじゃないんです。
五感全てを実は使って覚えています。
その人の名前を聞いた時、見た風景、聞いた音、肌で感じた風、その場の匂い、手に触れた物全てが”名前”の記憶の補助的役割を果たしています。
されどその中に”強印象”という物がありこれが実は”記憶障害”を起こす一番の元なのです。
例えば絶世の美女であったりとても甘美な匂いだったり素敵な場所だったりすると本来は”名前”を覚えないといけないのですが”記憶順列の法則”に則り最も”印象が強い順=強印象順”で人は記憶をしてしまいます。
ぶっちゃけた話”巨乳の美女”の場合、無条件に脳は”視覚”的にその人を記憶します(笑)
つまり”巨乳”は覚えているんだけど”名前”は思い出せないと言う事になります(笑)
相手から見たら”人の胸ばかり目が行ってスケベ”と言われるかも知れませんが然に非ず。
人はその人にとって最も”インパクト”のある物に脳は反応を示します。
つまり記憶者にとっては”巨乳”が一番”インパクト”があっただけなのです。
勿論”巨乳美女”でもそれを記憶する記憶者にとって”巨乳”が関心事ではない場合別の物で記憶をするので全ての”巨乳美女”を人が”巨乳”で記憶するとは限りません。
そして此処からが本題(笑)(相変わらずなげぇ前振りだな)。
人は恒温動物であり爬虫類等の変温動物でないのでとても変化に弱い性質を持ってます。
つまり”通常反応ではない反応”にはとても敏感に反応を示します。
先の”巨乳美女”の場合多くの人が”巨乳”に目を奪われるのにその人の”目の美しさ”に文字通り”目を奪われた”人は巨乳美女にはとても”珍しいタイプ”の男性として目に映りその”意外性”が今度は女性側の”強印象”として脳に残りそれが脳を刺激し結果”気になる人”となる可能性が高くなるのです。
まぁこれは好例の場合で好例があれば当然悪例も有ります。
”通常反応を良し”としている人の前に”通常反応じゃない人”が現れると今度はその”変化”が”嫌悪の対象”となりよりその人に対する”警戒心”や”嫌悪感”が強くなります。
そしてこの”好意”や”嫌悪”もそれを受ける人の常態行動における”五感情報の入手方法”により常可変的に変化をして行きます。つまり”好悪の変動率”は一定しないと言う事です。
”アイツは良かったのに俺は駄目なのかよ、そんなの差別じゃん”と嘆くなかれ。
人の”心”は常、移ろいやすい物なのです。それを失念なさいませぬようにw

2013年2月15日金曜日

2013年2月13日水曜日

バレンタイン心理学〜貴方が私を選んだ理由〜

明日はバレンタイン。 女性が男性にチョコに思いを載せて渡す日。 大事なのはチョコの値段やプレゼントに非ず。 渡す相手への”思い”である。 どんな高級チョコでもどんなブランド品でも嫌いな人や赤の他人からは貰わぬ筈。 その他大勢の超高級チョコよりたった一人の為のチロルチョコ1個を私は選びたい。 二十代の頃、地元百貨店のチョコ売り場でバレンタイン時期辱めを受けた。 唯、チョコを眺めていただけなのに心ない老齢の女性店員に侮蔑の言葉を受けた。 ”モテナイ男が自分の為にチョコを買っても恥ずかしいことではない”と。 一晩中泣いた後”本チョコしか貰わない”と決めて男を磨く決意をした。 あれから二十年以上が経過、今年も又、”世界で立った一つのチョコ”が届く。 私の為に一ヶ月以上前から全てのチョコ売り場のチョコをメモりその年の最高の一枚を選んでくれる”唯一無二のチョコ”が。 10年間その思いを私は受け取り続けている。 貴女の大切な人に貴女の大切な思いを届けよう。 その思いは必ず届きます。

『好敵手の心理学〜或いは孫子の兵法〜の心理学』

我が元に来られる方はその多くが同僚や或いは上司その他色々な人からお心を傷つけられその結果御心を病まれ我が門を叩く人が多い。 その経緯も様々だがその中に”執拗な迄のライバル心”を持ちすぎて御心を病まれた方も昨今その数を増してきている。 先日も目をギラギラとギラつかせた同胞が来訪、『アイツにだけは負けたくないんです、アイツに勝つ方法をどうか教えて下さい』と頭を下げにきた方が居た。 その人に私はこう申し上げた。 『貴方は孫子の兵法と言うのをご存知ですか?』 『孫子の兵法?』 生憎その方は『孫子の兵法』をご存知ではないようでした。 故に簡単に『孫子の兵法』についてご説明を申し上げました。 その中で『敵を知り己を知れば百戦危うからず』と言う言葉を差し上げました。 ”ライバルに勝ちたい”と言う気持ちは人間が生物である限り必ず持つ感情です。 されどその感情の裏にあるもう一つの真実に人は中々目を向けていない。 それは”何故ライバルに勝ちたいのか?”と言う事。 ”勝ちたい”の裏にある心理は”相手に負けている自分”という劣等意識です。 この劣等意識があればこそ人はライバルを見つけ其処を越えようと努力をします。 されどこの”劣等意識”こそが裏を返せば”ライバルを超える事ができない”一番の理由。 先の話に戻ると”敵を知り己を知れば”百戦は危うからずです。 この場合、重要なのは”敵を知る”事ではなく寧ろ”己を知る事”の方。 何故か? 相手は自分の目で”見る事”が叶います、当然”見る事”が叶うので弱点も見つけやすい。 されど”己”は”自分の目”で”見る事”が叶わない存在です。故に弱点も見つけにくい。 弱点を見つけにくいということは裏を返せば其処を突かれたらお終いと言う事です。 人はライバルを蹴落とす事に目を向けても己に打ち勝とうとは中々しない。 されど”己を知り己に打ち勝つ”事こそ本当に”相手に打ち勝つ事”なのです。 何故ならば”相手も自分も同じ人間”だからです。 ”己を知る”事は”相手を知る”事であり”己に勝つ”事は”相手に勝つ”事です。 本当に”相手を知り相手に勝ちたい”と欲するならば先ず”自分を知り自分に打ち勝つ”事。 それを同胞には常説いています。 そして先ず”己を知り己に打ち勝つ”事を教えているとある時面白い場面に気づきます。 あれだけ闘争心やライバル心でメラメラ燃えていていた目が急に穏やかな目になります。 それは何故か? 己を知り己に打ち勝つと人は”人と争う事の無意味さ”を知るのです。 ”戦い”とは”相手の力量が解らない為に起こる愚行”です。 されど相手の戦力が解れば”勝てる相手”か”勝てない相手”かが解ります。 ”勝てる相手”なら態々勝負を挑む必要もありません。 ”勝てない相手”なら勝負を挑む事すら愚かな事です。 もっともっと自分を高めて”相手に勝てる自分”になる方がより堅実であり実り多いです。 もっともっと自分を高めて相手の”闘争意欲を無くす自分”になる方がより賢明です。 ”勝つ事”とは”相手を打ち負かす事”だけではありません。 ”自らの強さを見せる事”も又、”勝つ事”の大事な要素の一つです。 ”戦わずして勝つ”私にはそれが一番恰好良いように思えます。 先ずは己を深く知る事、相手に勝つ為に何が足りていて何が足りないかを知る事。 その上でどうすれば勝てるかを精査しそれを得れる自分となるよう自分磨きをする事。 それが叶えばもう”戦う相手”ではなくなり”無益な争い”は避ける事が出来ます。 そういう自分を他者が見ると”あの人は本当に強い人だ”と思うようになります。 そうなればライバルよりも助力者の方が増えて行きます。 ”権力”とは”強さを示す”事ではありません。 本当の”権力”とは”己の偽らざる姿”を見せられる事です。 そういう人に人は惹かれそしてついていきます。 そういう自分になれるようどうすれば良いか?それをお教えして来た二十年です。 されどそれを教えている張本人はまだまだ”自分の本当の強さ”は知らぬままですがw ということで今日も最後のフォンセッションを終えそろそろ休ませて戴きます。 皆様方も良き夢をm(_ _)m

2013年2月12日火曜日

一般的解釈の次元性と範囲性及び人間力の大切さについて

”私は違うんだけど一般的にさ〜”と言う出だしで話を切り出す人の場合その殆どが話者も”一般的”な範疇に含まれている場合が多い。 何故なら本当に”一般的な話”ならば人は態々”一般的には”という言葉を使わない。 まして”私は違うんだけど”という念押しは絶対にしない。 ”一般的には”とか”私は違うんだけど”を言う時点でその人もその範疇の人である事を話者自体が潜在的に認めている事を示している。 話者自体がそれを認めずそれを認められていないと認識していれば当然前置きは不要。 或いは自分は認めているけれど聞き手はそれを認めていないかもしれないからという逃げ口上を使う人も居るがそれも無駄な事。 全ての人が”一般的解釈”を持っているとは限らない。 何故なら”一般的解釈”には時限性と範囲性があるからである。 或る限られた時間内と或る限られた地域においてのみ”一般的解釈”は通用する物であり”一般的解釈”に普遍性は存在しない。 戦争時相手国の兵士を殺める事は”一般的解釈”が成り立っていた。 されど現代においてそれは”一般的解釈”を得られる物ではない。 医学も同じ。 江戸時代等昔は”加持祈祷”も立派な”治癒行為”であった。 今でも一部の地域では”加持祈祷”を治療目的で使う集落も存在している。 されど現代における”一般的解釈”において加持祈祷は”治癒行為”として認められていない。 このように人間が発する言葉と言うのは必ずその人の”心の状態”を示している。 時限性と範囲性を持っているのは何も”一般的解釈”だけではない。 人の持つ全ての物(地位や名誉や財産や美貌等)には時限性と範囲性がある。 紫式部の時代、女性は長い黒髪が美人とされていた。 髪が長ければ長い程黒ければ黒いほど美人だと言われた。 されど現代においては長くても黒くても”美人”だと認識をする人は全体的に多くない。 バブル時代”海苔弁眉毛”が美人とされていたが最近は”細眉げ”が美人だとされている。 このように人間が行う全ての事には”時限性と範囲性”が存在している。 されど”時限性と範囲性”が唯一及ばない物がある。 それが”人柄”という物である。 ”人柄”だけは凡ゆる次元性と範囲性を超越する物である。 人間の魅力は見た目や社会的地位や財力、或いは腕力で決まる物ではない。 真の人間的魅力とは”人柄”であると私は考えている。 その意味において現代人に一番欠けていると思うのは”人間力”であると思う。 どんな場面においても”人間力”に勝る物はない。 就職試験などでも学歴や職歴を問われるが結局最終的には”人柄”を見られる場合が多い。 そして”学歴や職歴”で選んだ人材は大抵使い物にはなっていない。 やはりその人の”人間力”は体から滲み出ておりそれが仕事をする糧となっている。 我々はその”人間力”を鍛える事で様々企業への同胞の就職斡旋も行い果たしている。 これからも一心理職として”人間力”を鍛えられる人間でありたいと願う。 それ以上に自分自身の”人間力”も落とさず養って行ける自分であるよう精進をしたい。 と言う事で今日も最後のフォンせションを終えそろそろ休ませて戴きます。 皆様方も良き夢をm(_ _)m

2013年2月9日土曜日

『衰えの心理学〜或いは経年の心理学』

去年の紅白の初代ガールズバンド解散ライブに驚愕された方も少なくないであろう。 それ以外にも去年一昨年と昭和、平成を騒がせたバンドの復活ブームであった。 その波は今年も来ているらしく今年も復活バンドブームは暫く続きそうな勢い。 少し前は60年代や70年代が懐かしがられたが最近は80年代や90年代が懐かしがられる世代となり我々も段々団塊世代へとなりつつあり寂しい感じもする。 去年の紅白を見られた方の多くが”経年による声の衰え”を多く感じられたそうだ。 されど本当に”経年による声の衰え”が原因なのだろうか? 同じ日”年忘れ日本の歌”と称して昭和を代表する大御所様方々が別番組で多数出演なされていた。 紅白出場ガールズバンドよりも10年20年以上年長者の方々ばかりであったがその声量は豊かで声に艶も有り”経年による衰え”を余り感じる事はなかった。 中には御年60を超えて足が遥か高く頭上迄上がる女性歌手もいて観客の度肝を抜いていた。勿論その方の声量も豊かで全盛期の頃の声量と比べても殆ど遜色は無いであろう。 もしも”経年による衰え”が原因ならば先の初代ガールズバンドの方が声量があって然るべしであるはずなのだが?これは一体どう言う事であろうか? 実は此処に常態行動心理学の真髄が眠っている。 初代ガールズバンドと往年の歌手方々の違いは”常態行動の違い”と言い換える事ができる。初代ガールズバンドの方は”復活バンド”でありそれまでの活動は個々で行われその活動も継続的な物では無かった。 翻り”昭和の大御所歌手方々”は普段から地方を回り常にリサイタルやコンサート会場或いはディナーショー等に参加し常、歌手活動を行っている方々で。 人間の細胞の衰えは実は経年による物よりも環境による物の方が変化は大きい。 つまり初代ガールズバンドの方が環境による変化が大きかった為に衰えが激しかったというのが実はこの謎の正体である。 大御所様方々はお呼びがあれば何処へでも参上しその美声を美姿を観客に披露された。 翻り初代ガールズバンドは観客の前へ出る回数少なく練習回数も少なかった。 人間の常態行動は”普段と同じ生活”をする事でアンチエイジングが叶うとある。 大御所様方々は全盛期の頃と変わらぬ忙しさで日本国中を飛び回りその美声を震わせた 翻り初代ガールズバンドは全盛期の頃の忙しさはなくなり個々の活動に勤しんだ。 人に常、見られるお仕事の人は”見られる事”が常態化されている。 つまり幾らスタジオに篭って練習をしても”舞台で歌う事”に意義が有るのである。 舞台女優が舞台で死ぬ事を本望とするのは其処が自分が居るべき場所であるから。 人間は本来自分が居るべき場所にいる限り経験の衰えは抑える事ができるのである。 それはその仕事に邁進している間は細胞活性が常行われているからである。 細胞は死滅と再生を繰り返しておりある一定の年齢を過ぎると死滅率が上がるとある。 されどそれはメンタルアップによりその死滅率を抑える事が可能である事は我が研究により明らかとされている。 衰えとは自らがそれを認め意識をした時から始まる物である。 裏を返せば自らが衰えを意識せずそれを拒否し続ければ衰えを感じる事はない。 本当に若々しい人生を送りたいのであるならば若い頃と変わらぬ生活を送る事。 それが究極のアンチエイジング法だと私は信じて疑わない。

2013年2月4日月曜日

心理学的プロスペクト理論の私的理解と感情転移についての一考察

プロスペクト理論(プロスペクトりろん、英: Prospect theory)は、不確実性下における意思決定モデルの一つ。選択の結果得られる利益もしくは被る損益および、それら確率が既知の状況下において、人がどのような選択をするか記述するモデルである(Wikipediaより) 解りやすく言えば人が何かを選択する度に利益或いは損益を被る可能性が有りその確率により人がどういう選択をするか?という事を図る一つのモデルであるという事。 我が『選択心理学』にも同様の考え方が有ります。 されどこの『選択』と言う行為は自己表現の一つであり自らの経験から導き出される答えというだけでなくその選択により自分が他者にどう見られるか?という観点から過去の経験から得られる答えとは違う答えを敢えて導き出す事もありそれは人間が爬虫類等のような変温動物とは違い恒温動物である事に起因。 つまり変化に弱いという性質を利用した心理効果を期待しての選択というのも有ります。 学説的解釈と経験的解釈とでは解釈の違いに随分と開きがあります。 学説的解釈は前者を優先し経験的解釈は後者を優先する傾向に有ります。 例えば芸能人がチャリティー等で寄付金を集めたり寄付金自体を自腹を切る行為はそれ自体は損益を被る行為ですがそれにより好感度を得てそれが仕事獲得に繋がればそれは結果増益となります。 所謂『損して得とれ』という奴。 或いは敢えて悪人を演じ友達を善人にし友達とその友達が好きな女性をくっつける場面。 青春物ドラマでありがちな設定ですがこういう自己犠牲的行動も行動自体は損益ですが結果友情は深まり或いはその友情自体に女性が好意を持って彼氏が入れ替わるという悲喜劇も現実では結構有ります。 昨日述べた『感情転移』も実はその範疇。 私は同胞に言います。 『今日私の事を嫌いになり或いは私を恨んでも構わない。私にとって嫌われる事、恨まれる事は職業的に日常茶飯事ですから。そんな事は私にとっては瑣末な事です。されど私が関わった以上プロとして貴方の御心の闇は絶対に祓わせて戴きます。それが私の存在意義でありプロとしての誇りですから』。 実際同胞に私を恨ませる事でやる気を起こさせたケースもあります。 最初は腹立ち紛れに頑張り達成感を味わいほらみたことか!と鼻高々です。 されどそれが私が敢えて行った物である事を後々同胞は何らかの形で知ります。 その時私の真意を始めて同胞は汲み取ってくれるのです。 『感情転移療法』と言う私の1000を超える療法の一つです。 これからも私の中の患者第一主義は変わる事は有りません。 その中で恨まれようが嫌われようがそんな事はどうでもいい。 我々プロの仕事はお心の闇を祓う事、その一念のみ。 心理職は案外因果な商売なんですよw

2013年2月3日日曜日

自己感情転移とその対策法について

感情転移とは施術者に同胞が感情を移してしまう心理学用語である。 感情転移には陽性転移と陰性転移がある。 陽性転移は好意的な物で陰性転移は悪意的な物である。 何れも過去の様々な経験が原因で起こる物でありそれにより陽性にも陰性にもなる。 更に陽性から突然陰性に変わる事もあればその逆もある。 所謂『可愛さ余って憎さ百倍』という奴。 思い込みが激しい性格の人や直情型の人には感情転移の移動が激しい人もいる。 以上は飽くまでも心理職とクランケの関係を示した物である。 だがそれを繰り返す事により『自己感情転移』を起こす場合が有る。 今日のメインはこちら。 例えばずっと鬱病の同胞と長い時間場を共有したとする。 するとそこに『共通の場』が存在するようになる。 所謂『場の共有性』と呼ばれる物である。 そしてこの『場の共有性』は変動性で占有率が上がったり下がったりする。 同胞と施術者の関係が深くなればなるほど長くなれば長くなるほど占有率は上がる。 すると稀に『自己感情転移』を起こす場合がある、平たく言えば『ミイラ取りがミイラ』 鬱病を長く患っている同胞と長い時間共にする事により『鬱病』を発症する物である。 まさか私がと自らの病の発症を疑いそれを認めない為に発症に気づく迄に時間が掛かる。時間が掛かれば当然それを治療する時間も長くなる。 実はこういう施術者を施術する事も私の場合少なくない^^; やはりこの業界も広いようで狭く秘匿性があるようで同業者情報は結構流れやすい。 故に公的医療機関等はそういう意味で秘匿性が薄く個人でやっている所へ集中する。 私の場合も半々とまでも行かないが四分六分位で同業者がクランケとしてやってくる。 そういう場合は先ず場の共有率を上げて『感情転移』を自らが行う。 その理由は同胞の中の悩みの大きさを知る事とそれを我が身に移す事である。 相手は自らの荷物の大きさを理解してもらえ更に肩代りして貰えるので楽になる。 その際に大事な事は『メンタルブロック』を必ず掛けておくということと相手にプロ意識を失わせない事である。 これにより過剰な感情転移を防ぎ『ミイラ取りがミイラ』防止に繋がる。 同業者の場合持っている物がかなり大きいので絶対必要である。 そうする事で同業者のクライアントは荷卸しとメンタルブロックの大切さを学ぶ。 そして次回からはそれをご自身でやって頂けるよう御指導を差し上げている。 この仕事のクライアントは案外素人だけでなく同業者同士も少なくは無い。 『同類哀哀れむ』ではないけれど同業者で無ければ解らない事も結構ある物である。