常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2014年1月8日水曜日
『魅せる事の心理学~或いは魅る事の心理学~』
昨日は『表現療法』として『ジオラマ療法』をお示ししましたが今日はその続き。
例えば俳優、歌手、ダンサー等の共通点は『魅せる職業』であるという事。
歌い手は『聞かせる』事が仕事だと思われますがそれも『魅せる』事がsetでの話。
実際一度も『魅せない』で『聞かせる』歌手を私は一度も見た事がありません。
何故ならば『魅せる事』も『聞かせる事』も五感で『感じる』事が基本だからです。
五感で『感じる』事が基本に有りその上に『魅せる』『聞かせる』『味合わせる』『匂わせる』『触れさせる』が加わるだけです。
基本は『感じる』事なのです。
『魅せる職業』の方の多くが『魅せ方』を日々研究されておられますが常態行動心理学者の私の目にはそれでは不充分です。
何故なら『鑑賞者』の最小単位は他者ではなく『自分自身』だからです。
『表現者』を尤も多く、尤も深く見ているのは他者ではなく自分自身なのです。
故に『魅せる事』に終始するのではなく『魅る事』に終始すべきなのです。
嘗てベリーダンサーの同胞と三ヶ月に渡りセラピーを頼まれた事が有りました。
主なお悩みはだめんずからの脱却でしたが表現者としての表現力についてもとても深く悩まれておいででした。
その方は名は伏せますが業界でも名の知れた方でした。
私もご依頼を頂戴した時には正直驚きました。
されど芸術という物は極めれば極める程その悩みは深く大きくなります。
もっともっと極めたい、神の域にまで達したいという境地に立ちます。
彼女もそんな求道者の一人でした。
私は彼女に我が2000を越えるオリジナル心理学のひとつ『常態行動表現心理学』でもって御指導差し上げました。
特に『ダンス療法』は流石一流ダンサーだけあって覚えも早くめきめきと上達していき、その年の名だたる大会を総なめしていきました。
既に彼女は今は現役を退き後進の育成に力を注いでいます。
されどその時に私が嘗て御指導差し上げた『ダンス療法』を取り入れているそうです。
これはダンサーのケースをご紹介しましたが歌手や俳優方々にもそれぞれの職業に適合した『表現療法』を持っているので又、音楽家や俳優養成所の指導者とは違う視点の御指導をさしあげられているようで好評を博しています。
又、この『表現療法』は何も『表現者』だけに限りません。
私のモットーは『生きる事は演じる事』というのをモットーとしています。
実際、家族や仕事場や学校、友人知人、そして愛する人の前と全部接する際の『魅せる顔』は違う筈です。
これこそが人間が『多面的存在』である証拠です。
10人の人が居れば10通りの嫌、実際はその10倍以上の『顔』を人は持っています。
そして京劇の早変わり以上の早さで『顔』を入れ換えているのです。
言い換えれば人は死ぬまで『演技者』なのです。
なれば『良い演技』をしたいと願うのは人の常ではないですか。
されどその『良い演技』は人により場所により時代により年代により違います。
例えば同じ時代同じ場所同じ年代の同じ人でも日によって『受け方』が違います。
それは『人の心の方向性』が常可変的に変化している事に起因しています。
逆を言えばその『人の心の方向性』を正しく知る事が出来れば『此方が望む受け方』を与える事が出来ます。
その『人の心の方向性』を知る為には先ず『自分の心の方向性』を知る事。
何故ならば人の最小単位は自分自身だからです。
自分が解れば他者が解り大衆が解ります。
先ずは深く大きく自分自身を知りましょう。
それが表現者の表現力を飛躍的に上げる最短距離です。
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