常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2012年7月13日金曜日
『死にたい』と願う人は『死ねません』。
『死にたい』と願う人は絶対に『死ねません』
何故なら『死にたい』と願っている時点で『死ぬ事』を否定しているからです。
本当に『死にたい』人は自らが『死にたい』とは思わない人。
ましてその信号をネットで発信している人は絶対に『死ねない』
私は『生きたい』と願いながらしなねばならぬ運命の人の運命を変えてきました。
私自身もそうだったから。
生きたかった、けど、幼少期私を生かしてくれるは親兄弟のみ。
一歩外に出れば私を『生かしたく無い人達』の中に長く身を置かねばならなかった。
辛く長い26年間でした。
大学に入りやっと『人として生かしてくれる仲間』と出会いました。その仲間とは今もなんやかんやで交流があります。
そして32歳の時、始めて『この人の為に生きたい』と思える人と出会い来年恐らくその人と同じ屋根の下人生を歩みます。
その人も高校時代私と同じ思いだった。
何度車から飛び降りて死んでしまいたいと思ったかしれぬと。
されどその人は言います。
『あの時死ななくて良かった、だって殿に出会えたから』
人生一度だけ救えなかった命が有る。
ヘルプに気付けず救えなかった命が…。
今の私が有るのはその時の無力さ無念さが未だ残っているから。
これ以上誰も死なせない、不幸にはしない。
この命に代えても…。
セラピストとして常態行動心理学者としての今の自分を支えてくれているのはその一念のみです。
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