常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2012年7月13日金曜日
私が『Second、third opinion を求める訳』
今年1/15深夜ガス壊疽で緊急入院翌日緊急手術。
二週間ICUで生死の境を彷徨いその後二ヶ月リハビリをし退院。
だが既に予兆は去年9月頃から表れて居た。
原因不明の高熱と左足の肥大。
地元の個人病院の外科医は『床ずれのポケット褥瘡が原因』とし床ずれ洗浄に終始し肥大して行く足には目もくれず。
されど真の原因はガス壊疽菌が床擦れを通して左足に付着し壊死を起こしていた事だった。
もっと早く個人病院の院長が気づいていれば左足を切断する事は有りませんでした。
個人病院の院長は『外科医』我が命を村上先生は『形成外科医』。
『整形』と『形成』の違いはあれど共に『外科医』で有る。
もし私が2ndオピニオンを求めなければ確実にこの世には居ない。
医師と言えど神に非ず。
専門分野といえど得手不得手は有る。
大事な事は自分が不得手な事を自らの詰まらないプライドや維持の為に処置遅れを起こしそれが致命傷となる事である。
俄かには信じられない事だがこの『医者の下らない意地やプライドの犠牲者』は決して国内で少ない数ではない。
厚労省が一般に向けて公表しないだけで我が知る限り枚挙に暇が無い。これが今の日本現代医療の残念ながら現実で有る。
勿論『玉石混交』と言う事は玉もあれば石も有る。
偶々『玉』に当たる人も居れば運悪く『石』に当たる場合もある。
『玉に当たったから幸運、石に当たったから不幸』では片付けられない。故に患者側にも医療的知識の蓄積を求めたい。
今は我々のような医療従事者でなくても薬の辞典や治療法について、検査時の注意点や基準値等凡ゆる事がネットや書籍で調べられる。
我が兄は入院中処方される全ての薬について投薬、点滴、湿布薬に至る迄全て調べ上げた。それだけに止まらず点滴の平均落下速度や平均点的落下数迄調べ異常が有れば即座にナースコールを鳴らし苦言を呈した。
その甲斐有って通常平均入院期間より短期間での退院が叶った。
そりゃあそうだろう(笑)病院側にしてみれば重箱の隅を突つく嫌な患者なのだ早く退散頂きたいに決まっている(笑)
さりとて中途半端な治療で退院させ再発でもなったら一大事。
それこそ医療ミスで裁判に掛けられかねない。
医療裁判に於いて重要な事は『裁判に勝つ事』ではない。
医療裁判に於いて重要な事は『問題を起こした病院を潰す事』で有る。
仔細を述べればその治療に関わった医師、看護師等を社会的に抹殺し二度と医療現場に復帰出来なくさせる事である。
そして二度と同じ様な被害者を生み出させない事である。
私は以前或る医療裁判を傍聴した事が有る。
我が同胞のお身内が医療ミスで殺された裁判で有った。
院長は町の名士で警察関係者や地元政治家、マスコミにも顔が利く。
裁判で勝つ事は到底不可能な事に思われた。
丁度裁判員制度導入直後で地元では初の事例でありマスコミも注目を集めていた。私はそれを逆利用したのだ。
検事は大学時代の友人、その友人と酒を酌み交わす機会を得た。
其の酒席で私は"一般論としての裁判で勝つ必勝法"を伝授した。
解りやすい"事例"を元に(笑)
この場合の"裁判に勝つ"とは字面通りの意味ではない。
その後公判で当事件担当検事である知人は裁判員に『医師の人間としての卑劣さ』『子を持つ親の子を医療ミスで奪われる無念さ』を中心に訴えた。
結果裁判員全員が『有罪』とするも司法判断は『執行猶予付き実刑判決』となり事実上『無罪判決』となった。
勿論これは想定範囲内。
その後裁判員になった方々が拡声器となり『あの医師に診て貰ったら殺される』と言う噂が街中を駆け巡った。
勿論その医師は噂は事実無根とするも『人の口に戸は立てられぬ』
噂が噂を呼び病院は閑古鳥が鳴く始末。
当然看護師や受付勤務者もお金が入らないなら辞めざるを得ない。
そうなれば更に辞めた人間が腹いせに尾鰭をつけて吹聴してくれる。
更に大きな総合市立病院の有名形成外科医の評判を挙げに挙げれば皆患者は其方へ流れる。
遂には閉院を余儀なくさせられる事となった。
『噂千里を走る』の例え通りその噂は街中を駆け巡り何処の医院もその医師を雇わなかった。
嘗て『町の名士』と呼ばれた老医師は『医師免許を持つ嘗ての医師』に成り下がり一人寂しく隠居状態となりその生涯を静かに閉じた。
その医師がもし自分の手に負えぬと直ぐ転院させ命を救っていたらこんな目に遭わずに済んだ。自らの詰まらないプライドや意地の為に『幼き命』を散らした報いを受けたのだ。
これは『対岸の火事』ではない、貴方自身の目の前に有る現実で有る。
どうか近くのかかりつけ医に全てを任せる事だけは辞めて欲しい。
そして可笑しいと思ったら例え恨まれても転院させ患者の命の火を消さないで欲しい。
私のように片足切断となってから幾ら悔いても意味が無いのだから。
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