2013年10月24日木曜日

『馴れ合い』が日本を不況にさせる常態行動心理学的根拠

此処最近『馴れ合い』という言葉の持つ罪深さについて思いを馳せる事が相次いだ。

一件目は車検整備後間も無くエンジントラブルが発生しラジエーターから水漏れがあった某大手ガソリンスタンド、

二軒目もガスメーターの指針確認ミスによる請求書発行ミス。

一件目に関しては私が激怒し再点検料はミスを犯した会社の自己負担にさせた。

二件目は元々指針確認されていた方と母が古くからのおつきあいだという事も有り苦言は呈したが追加料金を払う事とした。

単なる確認ミスでは済まない話である。

平たく言えばレストランのメニュー表に書かれていた数字とレジで払う際請求書に記載されていた金額が違うという事と同義である。

商売をして居る者の責任の重さと言う物が最近希薄化されているように思えてならない。

一つには多様化された社会というものに大きな原因があると考えられる。

経営者でない限り客離れを起こしても自らの腹は痛まない。

ミスを犯して首になってもバイトやパート先は幾らもある。

重責解雇とならない限り履歴書にもそれらのミスは記載されない。

されどそういう人間は反省をする事をせず又、同じ過ちを繰り返す。

何度も繰り返せばその街では働きづらくなり転居する。

こうして負の連鎖がどんどん加速し今の日本の経済の低迷を生んでいると私は考える。

昔は店も少なく働き口も少なかったので耐えるしかなかった。

当節人気の『おしん』の頃は日本人特有の国民性であった『耐え忍ぶ』という精神があった。

されど今は嫌なら辞めて次の職場に移ればいい、最悪、悪の道に走ればいいというある種の刹那主義が老若男女問わず横行しているように思える。

そういう社会システムの中に長く身を置いていると耐え忍ぶという精神が失われそれが昨今の幼児虐待の増加にも繋がっている。

これらは社会心理学や社会病理学の分野である。

社会心理学も社会病理学も元は人の心が其の発現である。

社会システムを変えたければ、社会的病理現象を変えたければその元となる人の心を変えて行くことである。

その意味において私はこれからも人の心の正常化によって社会を本来あるべき方向に戻して行きたいと考えている。

今日も元気に頑張りましょう。

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