『学がない』は免罪符にはならない。
学歴を付ける事は様々な理由から困難な方も居られるかと思う。
されど『学歴』はあれど『学』が無い者は数多くいる。
今の政治家なんぞはその悪例。
彼らに『学歴』はあっても『学』はない。
『学』があるなら未だに米国に属国扱いを受けるはずがないからである。
政府の犬となり下がりし有識者会議の面々も又、同類である。
我が元には学歴はなくとも学識はある真の知識人は五万と居られる。
彼ら彼女らこそ国の舵取りに相応しい方々だと思うが生憎国を憂いつつも国の舵取りには全く興味関心がない無欲な方々ばかりである。
彼ら彼女らが求めるは『知』のみ。
功名心など欠片も興味がないらしい。
学識は今の日本にいる限り何処でもつけられる。
新聞テレビ雑誌は元よりネットからも多く得られる。
しかもその殆どがプライスレスである。
高い授業料や受講料を払わずとも幾らでも学識を得られる今は良い時代となった。
最も学識を得られる場所は何処だかご存じだろうか?
大学?図書館?病院?研究室?
何れも違う。
最も学識を得られる場所は人がいる場所全てである。
電車の中、喫茶店、レストランそして行き交う人々の会話の中に学識が隠れている。
何故なら『生きている知識』だからである。
先にのべた場所で得られる知識は主に書物からで有りそれらは『死んだ知識』である。
何故なら日常的に使われてないからである。
知識とは日常的に使われてこそ価値が有る。
その意味において人々の会話の中に眠る知識こそ『本当の学識』である。
学歴は学校を出れば誰でもつけられる。
されど学識は自らが学ぼうとする姿勢無く得られる物ではない。
何方により価値があるかはいわずもがなである。
全国各地で開催している我が『常態行動心理学セミナー』は明日家庭で学校で職場で役に立つ知識を提供させて貰っている。
質問コーナーでは心理学に纏わる様々な質問に直にお答えを差し上げている。
本当の『知識』を得たい方限定でこれからも全国各地で開催していく。
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