常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2014年5月26日月曜日
適応障害が適応されない常態行動心理学的根拠♪
『適応障害が適応されない常態行動心理学的根拠』
所謂『適応障害』だと医療機関に診断された方々は年間数万人を数える。
中にはそれで自らの命を絶った人も居る。
彼らの命を奪い死の宣告をした医者は人殺しの犯罪者である自覚と己の愚かさを心から恥じて戴きたい。
その病名が示す重さとその病名を告げられた者の絶望感や疎外感に少しでも目を耳を向けられたらそのような無慈悲な事は出来なかった筈である。
我が元にも年間数万人単位でこのように医療機関から『死の宣告』を受けた方々が来訪される。
だが数か月後彼ら彼女らは『生の宣告』を受け意気揚々と我が門を去る。
そして誰が見ても『適応障害』だと認める者は一人も居なくなる。
『適応障害』が『適応障害』である一番の理由は何だか御存知ですか?
それは『適応範囲』を何処に求めるか?によって得られる結果が異なる事を示しています。
確かに『現在の居住範囲』に於いては『適応障害』かも知れません。
されど『未来の居住範囲』に於いてもそれが『適応障害』となるとは限らない。
事実私は『適応障害』と診断された方の『場を変える』事で『適応障害』を完治させた経験があるからです。
『適応障害』とは『社会に人を適応させようとする際に障害となる要因がある人』の事を指します。
ならば『人に社会を適応させていけば障害となる要因』は無くなります。
私の2000を越えるoriginal理論の一つ、『場の心理学』を適応させれば、『場を変える』事は容易です。
『場を自分の生きやすい場に変える』
事が出来れば『場の適応』は叶う。
さすれば『適応障害』ではなくなります。
私はこの術で多くの『適応障害』と呼ばれ方々が『適応障害ではない証明』を出しています。
『適応障害』だと誤診された方は是非我が門を叩いて下さい。
それが誤診だと照明して見せます。
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