常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2014年5月16日金曜日
常態行動心理学的人心掌握術♪
『常態行動心理学的人心掌握術』
我が元には所謂指導的立場の方も多く来訪される。
その方々の多くが『己の指導力』について自問自答される方が多い。
その中の数名は『自らの意のままに相手を操りたい』とする方も居る。
人はマリオネット(操り人形)ではない。
『相手を操りたい』と願っている時点で私の目には人として失格である。
もしも本当に『相手を操りたい』と願うのであるならば『相手を操りたい』と願わぬ事である。
何故か?答えは至極簡単である。
『操りたい』の裏にあるのは『操れない』という思いである。
『操れない』という思いが根底にある人が『操れる』訳がありません。
何故なら『操る』事の否定形を心の中で容認しているからである。
『強い欲求は強い否定である』というのが持論である。
つまり望めば望む程にそれらは遥か彼方に遠ざかってしまうという事である。
ならばどうすればよいのか?
どうすれば『人心掌握』が叶うのか?
それは『場を変える』事である。
人心掌握したい人間が存在する『場を変える』事で『場の管理者』となる。
つまり『場の操縦者』となる。
『場の操縦者』となれば『場を操れる』
そしてその場に居る構成員をも、又、『操れる』事となる。
されどそれを実現するには『場を変える力』を得なければならない。
『誰でも場を変える力を持つ』訳ではない。
何より『場を変える』事に対する『整合性』が必要不可欠である。
何故『場を変えねばならないのか』、
『場を変える事』に己の中に『正しさ』があるか?それとも存在しないか?
己の中に『正しさ』があれば『場を変える』事は出来る。
されど己の中に『正しさ』が無ければ『場を変える』事は出来ない。
私利私欲の為に『場は変わらない』
私利私欲の為に『人心掌握』は不可。
それは肝に銘じておくべきである。
もしも『私利私欲』の為に『人心掌握』しようとすれば必ずしっぺ返しを食らう事を覚悟せねばならない。
何故ならば其処に『正しさ』がないからである。
私も人を指導する立場の人間の一人としてこれだけは気を付けたいと願う。
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