2013年5月24日金曜日

『愛情』の常態行動心理学的掛け方


『愛情』とは『情けを愛する』と書きます。

この場合の『情け』とは『心』の事を示します。
つまり『愛情』とは『心を愛する』事です。

されど何度も此処で触れていますが『心』には『方向性』が有ります。
しかもその『方向性』は一定せず常か変的に動いています。

『愛情』とはその常可変的に変化していく『心の方向性』を見定める事なく与える事も受け取る事も出来ません。

過日もそんな『愛情下手』な彼氏が来院されました。

『私はこんなにも彼女の事を思い行動しているのにちっとも彼女はそれに気づいてくれない』と嘆かれたのです。

勿論これには逆のパターンもあります。

『私が貴方の為にどれだけ苦労したと思ってるのよ。けど貴方はそれを全く解っていない』と激怒する女性も少なく有りません。

されど一寸待って下さい。

先ほども触れましたが愛情には『方向性』が有ります。
そしてそれは『互いが重ねた年月』に比例しません寧ろ反比例の関係にあります。

何故か?答えは至極簡単です。

付き合い始めの頃は誰も嫌われたくないので具に相手の事を観察します。
それこそ相手の一挙手一投足が気になって仕方ありません。

それが注意力を増し観察力を増し結果『心の方向性』を正確に見定めやすくします。

されど経年によりお互いの行動パターンが読めてくるとその『心の方向性』を先読みし行動をするようになります。大抵の場合それは当たるのですが偶に外れる事もある。

これがまだ偶なら良いのですが回数が増えてくると段々と不安が増してくる。
すると上記のように”私は(俺は)こんなに貴方(お前)の事を愛しているのに”という自己弁護に走ります。

されどこの”自己弁護”に走った段階で二人の関係性の終焉は見え始めています。
付き合い始めの頃は”自己弁護”よりも”相手擁護”に走ります、嫌われたくないから。

されど経年により”相手が自分の一部”になってくると今度は”自愛精神”が芽生えます。
それは”相手が自分の中に居る”事の証拠なのですが如何にせん相手には見えない。

結果、”独り善がりのワガママ”にしか相手の目には写らなくなります。

それを相手のせいにするのは簡単ですがそれでは事態打開にはなりません。
そういう時は今一度自分の足元をちゃんと見て見ましょう。

そして自分の行動が”相手の為”という大義名分による”独り善がりの行動”になっていないか精査してみましょう。

案外愛情が冷めるカップルのパターンに多いのがこの”経年による愛情の独り善がり行動”である事が多いのです。

思い当たる節がある方は今一度自らの行動を振り返られてみては如何でしょうか?
まぁかくいう我々もそれは否めないのですけどね(⌒-⌒; )

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