2013年5月17日金曜日

不妊治療に対する常態行動心理学的アプローチについて


嘗て『女性は子供を生む機械』と女性を侮辱せし愚者は職を追われ唯の人となった。

女性が女性として存在している理由は子供を生む産まないではない

まして女性の価値は子供を産めるか産めないかで決まる物でもない

離婚理由の上位に未だ子供を産めない体だからと言うのがいる
事が私には理解が難しい。

男性と女性が性別が別れているのは生殖器があるやなしやだけではない。

確かに生物学的にはそうかもしれないが人類学及び心理学的にはそうではない。

男性と女性が性別が別れている理由は自と他の違いを認識し自己を高める為である。

もしも生殖活動の為だけであるならば雌雄同体でも構わない筈である。

雌雄同体ならば一々交尾をする必要もなく交尾の為の様々な苦労は軽減される。

男性と女性、雄と雌に敢えて別れているのはその違いを認識し進化する為である。

どちらが優れているとかどちらが劣っているというような低次元の話ではない。

男性にも女性にも性別的に得手不得手が有り同じ性別でも肉体的得手不得手は存在する。

更に言えば生産において大事なのは種ではなく畑である、つまり土壌が大事である。

幾ら男性が立派な種を持っていてもそれを育てる土壌が無ければ種は育たない。

そう考えた時何方に重きが置かれるかは言わずもがなである。

それを”子供を生む機械”だとか”子供を産めない女は女じゃない”とかとんでもない話。

女性が女性として存在しているのは男性との違いを認識し互いの能力を高める為。

決して”子孫を残す為だけ”に存在しているのではない。

我が元にも御子をその身に宿せない女性が多く来訪される。

されどその多くが心因性が原因である事を解く産婦人科医は少ない

だが多くが心因性である事実は決して少なくない。

事実心因性疾患を改善後御子を宿したケースを私は自分自身の経験で多く持っている。

子供が産めないという事がどれほどのストレスでそれがより子供を産みづらくしているか今の医学界はもっとその事を真剣に考えるべきである。

これからも我々は心理学の分野で不妊治療に全力を注ぎ冒頭のような生きる価値のない愚か者を排除して行く所存である。

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