2014年2月2日日曜日

リケジョにみる報道の在り方を激しく非難しその存在意義を問う

『必要は発明の母である』とは発明王エジソンの言葉。 されど私はこの言葉のもう一つの意味について深く考えてみた。 今日、愛方と昼食中愛方がこんな話をしていた。 『どんな立派な発見も発明もそれを活かしてこそ真の価値がある。それを只、見つけるだけ発明するだけならば誰にでもそれを成す可能性は残されている。大事な事はそれを如何にして実用段階にまで高められるか』だと。 この話題の主は言わずもがな理科女女史に向けられた言葉である。 勿論その前の発明者にも向けられた言葉である事は言う迄もない。 愛方が眉根を寄せるのは発見当事者だけではなくその発見当事者に対するマスコミの扱い方である。 まるで『大将の首討ち取ったり』と言わんばかりの報道の過熱ぶりである。 だが実際は『大将の首の所在』を見つけただけであり『大将の首討ち取ったり=実用化』には至って居ない。 しかも今回も前回も『一人の力』による物ではなく『チームの力』による言わば『団体戦勝利』であるにも関わらず『チームリーダのみ』が過熱報道によりクローズアップされさも『一人勝ち』に聞こえるような報道をされる事は某公共広告機関により厳しく取り締まられるべき重大な問題である。 マスコミの過熱報道により既に『理科女』志望者は鰻登りだという。 理系学部を抱える大学はそれで良いが文系学部を抱える大学においては明らかな威力業務妨害である。 しかもその発見の実用化を夢にみながらも夢半ばで来世に旅立たねばならなかった死にたくない失われていった尊い命の存在をマスコミは忘れるべきではない。 彼らの行いは決して称賛を得るべき物ではなく人名を軽んじた重罪である。 発明者自身も恐らく余りの過熱報道に戸惑いを隠せない筈である。 しかもこれも毎度の話だが本来の発明の話ではないサイドストーリーの方にマスコミは誘導し馬鹿な視聴者もそれに乗せられている。 其がプロパガンダとも知らずにだ。 前回の某高級弁当のケースといい、某子役ドラマといい、最近のマスコミの報道のあり方には著しい偏りがあり本来的なマスコミのあり方である普遍性及び公平性を著しく欠いている。 そのような偏狭的なマスコミ報道には何の価値も意味もない。 日本のマスコミの報道のあり方、及びそれらの受け方に激しい疑問と義憤を覚える物である。 今一度報道の本来的在り方をマスコミ関係者には問い直して戴く事を強く求めるものである。

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