2014年3月12日水曜日

『職業意識』に対する常態行動心理学的解釈について♪

『職業意識』と言うと一般的には一種の職業病のように其の職業に就いている時の思考性が日常生活においても残り影響を与える事を指す。 だがその『職業意識』の中にある種の『共通認識』を求める人は少ない。 だが意外にも其の率は低くない。 以前二人の人に同じ言葉を吐かれた。 『貴方の回りにはイエスマンしかいない』 其の二人にはいくつも共通点がある。 大学職員である事。 私立大を出ている事。 年齢的に近い事。 何より同じだったのは彼ら彼女らの回りには『イエスマンしかいなかった』 という事であり且つ彼ら彼女らにとって私がイエスマンではなかったという事。 大学准教授と仲の良い学部時代の我が指導教官の居る大学院ではなく私が尊敬する教授の居る研究室を選んだ事。 非常勤講師が推奨する考えに乗らず持論を展開し結果的に対立的立場にたった事。 それが彼ら彼女らに私がイエスマンしか回りに寄せ付けないと言わしめた理由である。 残念ながら私には彼ら彼女らのような立派な肩書きはないし彼ら彼女らのような社会的影響力もない。 彼ら彼女らのような社会的地位を持ち社会的影響力を持つ方々の回りにはさぞかし多くの『イエスマン』が居られる事であろう。 そういう世界に長く身を置いていると人間は『イエスマンこそまともな人』という錯覚を起こす事がある。 そして自らの言動に『ノー』という人間を完膚無き迄ぶちのめす傾向にある。 其の彼ら彼女らの行動こそが彼ら彼女らの回りに『イエスマン』を配する結果となっている事に気づいていない。 生憎私は元来の臍まがりなので彼ら彼女らのイエスマンにはなれない。 なろうとも思わない。 幸いにそんな私を支持して下さる方々も少なくない。 私は私である。 私の意見に従おうが反旗を翻そうが私には些末な事である。 だが其の被害が私に留まるのなら無問題だが我が友録に其の被害が拡大する恐れのある人間は其の限りではない。 私は私だけでなく私の大切な家族に害を成す者は容赦なく切り捨てる。 それがこのウォールを管理する管理者の務めだと私は信じている。

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