常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2014年3月18日火曜日
不老長寿に対する常態行動心理学的解釈について♪
本日のテーマは『不老長寿』について。
古くから人間は不老長寿の研究に明け暮れていた。
それは人間と言う存在が有限でありそれ故に無限な物への憧れが『不老長寿』という夢を抱かせたと言っても良い。
だが常態行動心理学的には『不老長寿』が良いものだとは思えない。
先ず第一に『不老長寿』の範囲について。
もしもそれが限られた人達だけに許された物であるならばその許された方々は未来永劫死ぬ以上の苦しみを与えられる事となる。
それは人間が『認知欲求』の中で生きている事が原因である。
人が人足り得るのは自分以外の第三者が自分を人だと認識されて始めて人足り得る。
若しも誰一人として自分を人だと認識されねばその人は人型をした別の存在という事となる。
もしも限られた人達以外に不老長寿が与えられなければその『認知欲求』が満たされぬまま時だけが無為に過ぎていく。
そしてどんどん認知度は低下し無間地獄に落ちる事となる。
仮に人類全てが不老長寿を手に入れたと仮定をしてもやはり待っているのは苦痛のみである。
人間に限らず生物全ては刺激と反応の中で生きている。
刺激を受ける事により細胞が分派しそれにより生物は成長が叶って居る。
されど経年により経験値が増えると共に受ける刺激も少なくなってくる。
加齢と共に動きが鈍る一番の原因は実は加齢に伴う受ける刺激の減退が原因である。
刺激を受けなければ細胞は成長せず死滅していく一方である。
されど死を迎えられず体の自由を奪われ何も出来ぬままに無為に時間だけが過ぎていく。
人間にとって尤も苦痛なのは五感を奪われる事である。
そしてそれは五感情報が更新されない事でも同じである。
結果死ぬ事も叶わず苦痛を味わい続けるのみで生き続ける事となる。
死があるからこそ今の生を精一杯楽しめるのである。
生と死は一対である。
死が無ければ又、生も無い。
その事をどうか忘れないで下さい。
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