常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2014年4月13日日曜日
『自主規制』は『他者規制』である常態行動心理学的根拠♪
『自主規制』は『他者規制』である。
作家、大西巨人のドキュメンタリーを見た感想である。
本当に『自主規制』しなくてはいけない物を人は発表したいとは思わない。
逆を言えば『自主規制』を掛けねばならぬ程の『強い思い』があるからこそ、それを他者が恐れ『他者規制』を掛ける訳である。
戦前戦中戦後を通して『自主規制』を強制された作品の多くは時代や国や一部の権力者により『他者規制』を掛けられた『名作』ばかりである。
恐らく大西巨人の普及の名作『神聖喜劇』もこれが戦中なら『自主規制』という名の『他者規制』を掛けられていただろう。
その前に『検閲』に掛けられ或いは非国民として投獄されていたかもしれない。
そうやって多くの名作が『自主規制』と言う名の『他者規制』により時代の波に飲み込まれ水泡と期してきた。
されど『人の思い』に『規制』は掛けられない。
『人の愛』に『制限』は掛けられない。
今は当時と比べ規制は解かれてきた。
だが『見えない規制』はまだまだ多く存在する。
その『見えない規制』が多く存在しているという事はその中に『隠してはならない真実』も眠っている事を忘れてはならない。
それらの『隠してはならない真実』はじっと息を潜めて『出るべき時』を待っている。
『白日の元に晒される日』を待っている。
そして我々も『真実が明らかとなる日』を心待ちにして居る。
そんな事をふと思う真夜中である。
お休みなさい。
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