2012年6月18日月曜日

人として一心理職として生き続けたい

この仕事に就いて二十余年、されど私が"人"として始めて認知されたのは26歳の時、それ以前は私は"人"として扱われた事はない。親兄弟以外は…。 今でも地元民の少数は私を"化け物"扱いし"あんなモノ見ちゃいけません"と堂々と私の前で口に出して子供を窘め、物扱いし汚物でも見るような侮蔑の表情を浮かべるがせせら笑う。 "障がい者の癖に生意気な"とか"人の世話なしで何もできない人間が偉そうな口を叩くな"とか侮辱を受ける事は毎日である。 私が自分ができる事は100%やり出来ない事でも色々と工夫して出来る様に努力をする癖はこういう環境で育った所が大きい。 又、こういう環境で長年育ち今も差別の中で生きているからこそ我が同胞の様にお心を患われ差別的待遇を受けている方々のお気持ちが"手に取るように"解るし断じて許し難い。 私自身は幾ら侮辱されても平気だが母や愛方そして我が助力を必要とする同胞を侮辱するは我慢ならん。 凡ゆる手段を講じ相手がどんなに社会的地位が高い者でも裏稼業の人間でも容赦しない。 それぞれの世界に生きる方々と連携し常密接に関わり同胞の為直ぐ動ける体制を整えている。 故に今回の長期に渡る入院は私にとって大きな痛手で有った。 私が意識を失っている間悲痛の叫びを叫び続け私に助力を求めていた者が居た。私がその求めに気づいたのは一ヶ月後の事。 直ぐに連絡を取ったが未だ行方しれず。 我が身を真から呪った瞬間で有る。 故に二度と同じ過ちは冒したくない。 私が嘗て受け今も受け続ける屈辱を同胞にだけは味わせたくない。今の私を突き動かしているのは只、その一念のみである。

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