常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2013年11月30日土曜日
冬場の乾燥に対する常態行動心理学的アプローチについて♫
おはようございます。
本日の山口は晴れ時々曇り。
気温14℃(前日比+5℃)。
本日の朝食はツナマヨ ブレッド、母手製トマトサラダ、myst beans hot coffee以上。
本日は休み。
防府へお買い物へ参ります。
今日は『乾燥』のお話。
この時期になると風が冷たくなり肌が乾燥して痒くなる方も多いかと思います。
多くの人が『肌が乾燥すると痒くなる』と思われてますが実は違います。
正確には『肌が乾燥して外皮と内皮の間の熱を閉じ込め内皮の熱が外に逃げず中に籠る事』により痒みを生じさせます。
肌に潤いを与える事で外皮と内皮の間の熱を逃がす事で痒みを取り除く事が出来るようになります。
実はこれ、意識的に外皮と内皮の間の水分量を調節する事が可能なのです。
肌は空気の乾燥により水分を奪われ角質にダメージが行く事をとても嫌がります。
故に心の中で乾燥を拒否しています。
すると余計に意識が其処に集中し、乾燥度がまします。
更に追い打ちをかけるのが保湿系化粧品による過剰宣伝。
それにより冬の乾燥によるお肌のダメージは悪い物だという認識がより強くなります。
肌が乾燥するメカニズムは説明しましたがもう一つの理由は内皮の水分を奪われない為に外皮が乾燥して内皮の水分を守っているのです。
肌も人間も過保護に過ぎると余計抵抗を弱めます。
お肌のお手入れは大事ですがそれも過ぎると余計お肌を痛める原因となります事を御心に留めて戴き今日も元気に頑張りましょう。
自分の辛さは自分しか解りません。
自分の辛さは自分しか解りません。
何故ならその辛さの視点を持てるのは自分視点だけだからです。
誰かと自分を比べて不幸自慢をする事は不幸を肯定している行為でありそれは更なる不幸を呼び寄せる結果にしかなりません。
我が元にも年間とんでもない不幸を背負った同胞が来ます。
その方々は一様に言います。
『私の辛さは私しか解らない』と。
私は言います。
『当たり前だろ。俺の辛さが君に判るか?判る筈もない。解る必要もない。君の辛さは君にしか解らない。だから君自身が治すんだ。そして薬物依存から脱却するんだ。本当に大切な人を悲しませたくないなら己自身が己を変えていくしかない。その手だては俺が教える。俺が導く。けどそれを実行しその辛さを克服するのは己自身だ。何度も言うがメンタルを治す薬は存在しない。あれらは神経麻痺薬であり感じなくさせているだけ。謂わば鎮痛剤と同じ。根本治癒には至らない。本当にメンタルを治したければ心の向きを変えるしか方法はない。俺は薬は使わない。薬なんぞに頼るのは素人だ。本当の心の病を治すのは心しかない。俺は心で君の心の病を治す。この命に代えてもな。』
そうやって20年間一度も薬に依存させず全てのメンタル疾患を治して来ました。
勿論膨大な時間と労力を要します。
心が折れそうになることも一度や二度じゃありません。
されどそれを越えねばメンタル疾患は治りません。
同胞と共に涙を流しながら血反吐を吐きながらそれでも苦楽を共にして病と真剣に向き合います。
そうして治った病は二度と再発をしません、させません。
私はこれからも一切の投薬を使わずメンタル疾患を治す事に命懸けで取り組んでいきます。
それが私の存在証明ですから。
メンタルは治らないは嘘。どんなメンタル疾患も投薬なしで治せます♪
メンタル疾患は治せます、治します、負けず嫌いなんで(笑)
『割れたガラスは元には戻らない』ならば器自体を変えればいいだけの話。
元が正常だった人が凡ゆる五感情報を得てお心を病んでしまったのが精神疾患。
元が正常である限りどんなに異常になってもそれを元に戻せます。
勿論膨大な時間と労力を要します。
されどそれを多くの西洋医学啓蒙者は薬で代行しようとします。
それは対処療法であり根治には至りません。
解離性疾患も総合失調症も元は五感情報の誤認が主な原因です。
それを正せばいいだけの話。
それは薬では治りません。
その為に我々はその人の持つ場を変えています。
場を変えればその場を構成する構成員が変わります。
その変わった構成員を五感情報が認識し誤った五感情報を修正して行きます。
それは薬では代替え出来ない分野です。
何より同胞と心を重ねる事が絶対条件です。
それが出来ずメンタル疾患は治せません。
私は言います。
『これは既に君の事じゃない、俺の事だ。俺は俺に関する事は是が非でも変えて見せる』と。
一部の医療従事者が他人事とする事が精神疾患完治を遅らせる原因の一つです。
私は私が関係する同胞の事は自分の事として取り組みます。
自分の事として取り組めば必ず結果は出ます。
もしもそれが出来てなければ20年以上広告を打たず口づてでお仕事出来ません。
念押しの心理学~或いは失念の心理学~
例えば朝、出掛けに奥さんから『今晩はカレーよ、だから昼はカレー食べないでね』と念押しされ、帰宅後食卓に並んだカレーを見て『しまった!?今日はカレーだった。昼間食っちゃったよ』なんて事は有りませんか?
私は有ります(笑)
では何故『念押し』されたにも関わらずご主人はカレーを食べてしまったのでしょうか?
それは『念押し』に原因があります。
人間は禁止には脳が反応し、肯定には反応しません。
アレルギー反応がその好例。
奥さんは夕飯がカレーだからカレーを食べないよう『念押し』したのですがそれがご主人の脳には『強印象』として残り、『カレーを食べる』に変換されたのです。
其を回避させるには『念押し』をしないことです♪
2013年11月29日金曜日
派遣法改正に対する常態行動心理学的解釈と考察について♪
本日は『派遣』のお話。
『派遣法』が改正された。主な変更点は以下の三つ。
(1)通訳や秘書など「専門26業務」に限って無期限というこの「専門26業務」という区分を撤廃し、業種で区分する方式廃止。
(2)これまで派遣期間の上限は「業務毎」に設定されていたが、「人毎」に変更。
(3)派遣会社と無期雇用(正社員)契約を結んでいれば、業種を問わず派遣先でも無期限で働けるとした。
これだけを見ると派遣社員優遇に見えるが実際具に見てみると雇用者優遇措置となっておりより『派遣切り』がしやすくなったという事である。
長期雇用の正社員と違い派遣社員は短期雇用なので野球で言う所の代打、代走の役目をになっている。つまりは即戦力である。
多くの専門家がこれは正規雇用0を政府が目指していると思っているようだが私はそうは思わない。
景気が悪くなり経済が不安定になると人は安定を求め正規雇用を望むようになる。
されど実際企業力に乏しい企業は正規雇用を避けたい。
その代替え措置としての派遣法改正のようにしか私には見えない。
つまり被雇用者の目くらましでしかないという事である。
具に見てみると多くの矛盾点が見えてくる。
又、所謂縁故採用に関しては何ら触れられていない。
こういう日本古来の負の因習をやめなければ派遣社員方々の世間の風当たりは益々厳しくなる。
更に『特定機密保護法』が追い打ちをかける。
正規雇用の人間が生き残りをかけて上記法律を盾に派遣社員追い出しを画策するケースが増える可能性があるからだ。
こうなれば更なる社会的不安を増大させる結果になりかねない。
最近の政府の施策は小手先だけの目くらましがとても目に付く鼻につく。
それだけでは支持率を得る所かどんどん支持率は低下する一方である。
真に支持率をあげたければ小手先だけの目くらましではなく真に国民の利益を考えるべきだと私は考える。
国が民の利益よりも国の利益に目を向け始めたらそれはもう国とは言えない。
そういう国にさせないのは我々国民の義務である。
これからも我々は凡ゆる手段を講じて政府に国民にとって正しい舵取りをするよう求めて行く所存。
今日も元気に頑張りましょう。
2013年11月28日木曜日
メンタル疾患を薬で治すのは素人、メンタル疾患を心で治すのがプロです。
自分の辛さは自分しか解りません。
何故ならその辛さの視点を持てるのは自分視点だけだからです。
誰かと自分を比べて不幸自慢をする事は不幸を肯定している行為でありそれは更なる不幸を呼び寄せる結果にしかなりません。
我が元にも年間とんでもない不幸を背負った同胞が来ます。
その方々は一様に言います。
『私の辛さは私しか解らない』と。
私は言います。
『当たり前だろ。俺の辛さが君に判るか?判る筈もない。解る必要もない。君の辛さは君にしか解らない。だから君自身が治すんだ。そして薬物依存から脱却するんだ。本当に大切な人を悲しませたくないなら己自身が己を変えていくしかない。その手だては俺が教える。俺が導く。けどそれを実行しその辛さを克服するのは己自身だ。何度も言うがメンタルを治す薬は存在しない。あれらは神経麻痺薬であり感じなくさせているだけ。謂わば鎮痛剤と同じ。根本治癒には至らない。本当にメンタルを治したければ心の向きを変えるしか方法はない。俺は薬は使わない。薬なんぞに頼るのは素人だ。本当の心の病を治すのは心しかない。俺は心で君の心の病を治す。この命に代えてもな。』
そうやって20年間一度も薬に依存させず全てのメンタル疾患を治して来ました。
勿論膨大な時間と労力を要します。
心が折れそうになることも一度や二度じゃありません。
されどそれを越えねばメンタル疾患は治りません。
同胞と共に涙を流しながら血反吐を吐きながらそれでも苦楽を共にして病と真剣に向き合います。
そうして治った病は二度と再発をしません、させません。
私はこれからも一切の投薬を使わずメンタル疾患を治す事に命懸けで取り組んでいきます。
それが私の存在証明ですから。
『嗜好品と常態行動の素敵な関係について♪』
朝、目覚めの一杯や目覚めの一服で仕事に出られる方も少なくないと思います。
私もその一人。
朝の一杯の珈琲や職場に着いての一服は溜まりません♪
勿論カフェインやニコチン等栄養学的な問題もありますが常態行動心理学的には少し違います。
起き抜けは脳が半覚醒している状態でまだ完全には起きていません。
其処に珈琲や煙草を入れると脳に刺激が行きそれが脳覚醒を促します。
何時も行っている無意識行動(常態行動)の中に実は一日の生活リズムを整える元が含まれているのです。
何も脳覚醒は煙草や珈琲だけではありません。
普段行っている無意識行動全てが脳覚醒を促す道具となっています。
逆を言えば他の常態行動を作ればそれでも脳覚醒はなります!?
どうも今日は朝からやる気がでないと言う人は一日の行動を省みてみると案外普段やっている事を抜かしていたりやり方を変えていたりと言う事が有ります。
それを元に戻せば何時もの調子を取り戻せます♪
されど何事も過ぎたるは及ばざるが如し。
珈琲も煙草も取りすぎるとカフェインやニコチン摂取過多で脳覚醒しすぎてスタミナを過剰浪費してしまいそれが余計銚子を狂わせるので飲み過ぎ吸いすぎは御注意を♪
『No!と言える国民』についての常態行動心理学的お話
今日は『NOと言える国民』についてのお話。
『NOと言える日本人』ではありません。
国民がNOというのは外国ではなく日本政府に対してです。
秘密保全法に関しては特に『基地の街』での反対が強く起こっています。
それは4項目の内の一つである『テロ行為』という文言に抵触する恐れのある発言の不透明さが原因とされています。
例えば在日米軍人の日本国内における蛮行に対して何か批判をした場合、日本を守るべき立場にある米軍人に対する批判的発言はテロ行為と見做される可能性があるからです。
これは米軍基地のある街が無法地帯となるのと同義です。
勿論在日米軍人全てがアウトローというつもりはありません。
我が街も米軍基地がある街ですが米軍人と市民の交流は活発でとても良好な関係を築いています。
されど表があれば裏もある。
善人がいれば悪人がいて然るべきです。
沖縄を初めとする米軍基地がある街に住む方々が最も危惧されているのは今後在日米軍人の蛮行に対して市民が何も言えなくなる事です。
それだけは何としても阻止をせねばなりません。
何度も言いますが日本は資本主義国であり民主主義国であります。
その資本を生み出すそして民主主義の根幹をなす国民の生きる権利を剥奪する恐れのある法案成立を我々は断固認める訳には参りません。
これは犯罪を犯そうとする者を助長する言わば『幇助罪』にあたります。
法治国家である日本国自体が罪を合法的に犯すのならそれはもう国という体を為しません。
自民党の良識派はそれを恐れ多くの心ある党員が党の蛮行に対し離党という抗議行動を起こしています。
このままでは再度民主党に政権移譲されるは必定。
しかしもう二度目はありません。
二度と国民は自民党に票を投じないでしょう。
自らの首を自らが締める蛮行は即刻やめるべきです。
我々はこれからもこの問題を厳しく追及し廃案となるまで戦い続ける事を誓い今日も元気に頑張りましょう。
『飽食の心理学~或いは食べ飽きる意外な理由の心理学~』
例えば毎日同じ食事が並ぶとそれがどんなに高級な料理でも飽きます。
例えば大食い選手権等で大量の料理を味を変えて何とか制限時間内に食べきろうとしますが実際はフードファイター以外は結構食べきれません。
内臓的には胃拡張の拡幅度と繊毛の量の違いが消化吸収速度の違いとなって出てくるので生来的な身体構造が物を言う世界ですが実はそれだけに非ず。
実は『食べ飽きる』原因は味覚だけではありません。
人間の脳は刺激を受けて反応し細胞を活性化させ進化し現在に至っています。
その際他の動物との一番の違いは二足歩行を早くに覚えた事と噛む事を早く覚えた事に有ります。
噛む事で四足歩行よりも直立歩行の方がダイレクトに脳に刺激が行く為に五感から得られる情報を他の動物よりも早く処理できたのが地球上で固い鱗も鋭い爪も超人的跳躍力も持たない人間が地球上で生き残れた唯一の理由です。
裏を返せばその刺激がないと脳は情報を得られず苦痛を感じます。
閑話休題
フードファイターと一般人の一番の違いはこの『噛む事』による『刺激の慢性化』に対する耐性が何処まで有るかが勝負の分かれ目となります。
フードファイターは毎日食べる訓練をする際に噛む位置を微妙に変えたり一口に入れる量を調整して『噛み飽きない』コツを掴んでいます。
翻り一般人は味を変える事に終始し噛み応えを考慮しないので直ぐに噛み飽きてしまいより苦痛を感じます。
同時に強靭な顎を持つ事も又、食べ飽きないコツだとも言えます。
普段から固い物を食べつけて顎の強化にフードファイターは勤しんでいます。
まあ、最後は時の運も味方につけないと行けないんですけどね♪
実はこれ子供の食べず嫌いにも適用可能な分野なんです。
噛み応えを変える事で脳はより多くの刺激を得られそれが快感となって伝わりそれが食べず嫌いを克服させる術となります。
食べず嫌いで悩むお子さんを御持ちの親御さんは是非それらの工夫もしてみると良いかもしれませんね♪
2013年11月27日水曜日
特定機密保護法を廃案にする常態行動心理学的方法について♪
『特定機密保護法』に対して法案成立直後から日本国民による座り込みや抗議行動が活発化している。
これ程までに国民の反対行動を呼び起こす法案は私が知る限り存在しない。
『安保理決議』以来である。
されど寒空の中、体を壊して迄座り込みや抗議行動をする必要はない。
もっと効率的な廃案方法がある。
それは『当法案よりも国益を与える存在の提示』である。
そもそも国が定める法案とは『国益を守り国民の生活をより豊かにする物』でなければならない。
それが著しく国益を損ないそれよりも遥かに国民の生活を守り国益を与える物を国民自身が提示できれば本法案の存在意義は消滅する。
国益を与えず損益のみを与える事を証明する事こそ本法案を廃案にする方法だと私は考える。
今後も私は常態行動心理学者として当法案よりも国益を与える事例を多く提示し続けそれにより本法案の廃案を目指す物である。
『国益』に対する常態行動心理学的解釈について♪
今回は『国益』のお話。
先ず『国益』とは何か?
『国の利益』とは『国が国として機能する為に必要な利益』の事をさします。
では『国が国として機能する為に必要な事』とは何か?
それは『その国に住む住民の国に対する信頼』です。
国民がその住む国に対して充分な信頼を置き、国の繁栄の為に労働力を提供する事。
それが国益の元です。
そして国の繁栄の為に労働力を提供するに当たり必要な事は労働者間の信頼関係を築く事です。
では本国会で可決され全国で抗議行動が既に起こっている『特定機密保護法』は『国益を守る法律』なのでしょうか?
答えは否です。
互いの言動がもしかすると違法行為とされ投獄される恐れがあるとならば互いが疑心暗鬼となり信頼関係は揺らぎそれが互いの結束力を弱め、それにより労働力が減退し、そして国益を損ねます。
この法案の適用範囲が日本国民に限定されているならば在日外国人に対する日本人による風当たりは益々強まり外国人労働者の国外退去に繋がります。
もしも国内全ての居住者を該当とすれば在日外国人の母国政府からの猛抗議を受ける事となります。
何れにせよ本法案は国益を守るどころか国益を損なう結果にしか結びつきません。
その事を今一度政府には熟慮戴き、廃案にして頂きたいと願いつつ今日も元気に頑張りましょう。
『いい加減の心理学~或いは良い加減の心理学~』
『いい加減な事をするな!?』と親や教師、或いは上司に叱られた経験が有る方も少なくないと思います。
私なんて未だに怒られます(笑)
されどこの『いい加減』という技は何気に高難度の技で有る事を知る人は少ないのです。
先ずは『いい加減』の定義から。
大抵の場合『いい加減』は『中途半端』に言い換える事が出来ます。
つまり『中庸』と言い換えられます。
『中庸』と書くと何か少し良いです。
そしてこの『中庸』という奴が意外と難しい。
『簡単』と『難しい』は両極端なので決めやすいですがその真ん中にある、『中庸』は先ず両極端を何処に設定するかを決めないと『中庸』は決められません。
更に両極端が決まってもドンピシャ真ん中を取る事が更に又、難しい。
何故なら時の流れによって両極端の位置も又、微妙に変わるからなのです。
以上の事を考えると『いい加減』な事をするのは意外と難しい事がお分かり戴けたと思います。
我が元には『いい加減』な事しかできないとするお子さんを何とかして欲しいと多くの親御さんが来訪されます。
そういう親御さんに何時も私は上記の話を差し上げています。
勿論当事者であるお子さんにも。
何時も『いい加減』で怒られていた興さんは『いい加減』を誉められた事が嬉しくて何故かちゃんとしなくてはいけないと自らの愚行を戒め次からは『いい加減』な事はしなくなりましたとさ。
めでたしめでたし。
2013年11月26日火曜日
自殺における国内外の格差に対する常態行動心理学的理由について♪
さて、今日は『自殺』のお話。
大学在学中、フランス社会学者のエミール デュルケムの『自殺論』を読破した学生は本当に自殺をするという噂が流れた事が有りました。
若い頃は感受性が高く『自殺論』に深く感銘し共感した若者が死を選んでも不思議はありません。
されど日本では『自殺』に対する社会認識が欧米諸国とは大分違うように思えます。
第一、脳死を人の死と認めるのに自殺に関してはその認識はとても薄く遺族年金等家族に残されるお金はとても僅かであり、家長が借金苦で自殺をした家の末路はとても悲惨極まりない物となります。
それが元で経済的困窮を極め自殺の連鎖が起こる場合も日本においては少なからずあります。
日本は武士の時代から『切腹』という日本独自の美意識があり、この美意識は後の『特攻隊』にその魂は受け継がれるのですが海外での認知度、理解度はとても低いように思われます。
超心理学的には『自殺』は現世における修行の放棄に当たり、それは神への冒涜とされ、未来永劫成仏出来ず地縛霊となり現世を彷徨い続けると考えられています。
この考え方からもやはり日本においては『自殺』に対する社会の認知はとても良くないようです。
これは日本が島国であり一人一人が家族や国の経済の基盤を支える担い手であるという考えが古くからある為だと考えられます。
アメリカや中国のような広大な土地柄と日本のように狭い国土では国民1人に課せられる労働力比率が違います。
それが自殺に対する認識の違いだと考えられます。
されど私は一心理学者として今迄数多くの自殺者を身内に持つ御遺族のメンタルケアを行ってきましたがその殆どがパワハラやセクハラであり、これらは『労災認定』されるべき社会問題であり、国が法制化すべき社会的病理と考えます。
私自身も嘗ては自殺未遂経験者だから解りますが、自殺をする人達は自らの持つ多面性を知らずそれ故に苦悩し逃避行動としての自殺を考える人が殆どだと思います。
逆を言えば自らの持つ多面性を知る事が出来ればその多面性に逃げ場が出来て自殺をせずに済みます。
これからも私はそういう自殺志願者に自らの持つ多面性をお教えし自殺阻止に尽力する所存。
今日も元気に頑張りましょう。
2013年11月25日月曜日
真に女性が花開く年代に対する常態行動心理学的解釈について♪
解釈の仕方によっては総すかん喰らいそうだが敢えて書かせて戴きます。
女性が真に花開くのは40代から。
これは生物学的及び生態学的見解。
40を過ぎるとホルモンバランスが崩れ始め閉経が段々近づいてきます。
すると生命維持の観点から女性は艶が男性は逞しさが増します。
勿論男性にも当てはまります。
加齢と共に男性機能が衰えます。
それを補う為に逞しさが増え魅力が増してきます。
固い鱗も鋭い爪も超人的な跳躍力も無い人間が生き残る唯一の術。
其が『魅力』なのです。
それは極限の中で花開きます。
40の坂を登りつつある女性に『女が終わった』という愚人は考えを改めるべし。
養子縁組に於ける常態行動心理学的解釈について♪
本日は『養子縁組』の話。
最近、一時期衰退していた『養子縁組』が又、再燃しているとの話を聞きました。
きっかけは神社に捨てられて行く赤子の生命と人権を守りたいという住職の暖かいお心から。
されどそれを良い事にどんどん養子に出す若い夫婦が急増しそれが今、大きな社会問題にまで発展しています。
我が家も母方の叔父が戦後の復興期の中で食い扶持を減らす為に養子に出されたという話を叔父から聞いた事が有ります。
幼児期の頃は解らずとも物心つけば自分の親と自分の血の繋がりがない事に苦悩する時期は必ず来ます。
養子に出す親は貧乏な暮らしの中で不自由をさせるよりも裕福な家で育てる方が子供の為だと自分に言い聞かせて養子に出します。
されど出された方は『何故自分だけが』という寂寥感と孤独感に長く苦しめられる事となります。
勿論親御さんの気持ちが解らない訳では有りません。
中には叔父のように養子先の養父母に実の親以上に大事に育てられる人もいます。
されど一方で『他人の子』という態度を露わにする養父母も居ます。
幼少期に疎外感や孤独感を心に受けた子の多くは感情機能障害になる可能性を秘めています。
実際我が門を叩く同胞の中にも幼少期に養子に出され幼少期にに与えられらべき感受性を養父母から与えられず感情の表し方が解らないとする方を多く見てきました。
人間にとって、もっと端的に言えば生物にとって富裕は生きる事の問題には余りなりません。
貧乏でも家族が一丸となり一生懸命生きていれば幸福感は充分得られます。
されど富裕の為に子供を養子に出せば子供の中では『捨てられた』という意識はどうしても芽生えてきます。
捨て子となるよりかは養子になる方が遥かに増しですが親のエゴで捨て子や養子に出す事だけは今一度熟慮していただきたいと思います。
本当に子供の幸せを願うなら苦しい生活の中でも一生懸命育てる事こそが大事だと私は考えます。
2013年11月22日金曜日
『制服の心理学〜或いは日本人が形に拘る常態行動歴史心理学的根拠について〜』
子供服、学生服、セーラー服、背広等日本人程『制服好き』な国民も少ないのではないかと思う程日本人は『制服』に拘ります。
それはジャパニメーションカルチャーにおける『コスプレ文化』の中にもそれを見て取れます。
随分昔の話となりますが女子高生のセーラー服だけを収録したゲームがパソコンゲームに存在しマニアの間で空前のヒットを飛ばしシリーズ化された事が有りそれから『セーラー服』文化が生まれヤフオクなどで人気のセーラー服が高値でやりとりされていた程日本人は『制服好き』が多い国民性を持っています。
『制服文化』は社会学における民俗学でも取り上げられ論文が何本もある程です。
では何故此れ程までに日本人は『制服』に拘るのでしょうか?
それには歴史的要因と地理的要因が密接に関わっています。
先ずは『歴史的要因』から見て行きましょう。
古くは聖徳太子の時代から『制服』は存在していました。
職務の位により服の色を分けそれを法令化させていた程でした。
時代が登ると武家と公家の間で『ファッション合戦』が行われるようになります。
武家はより機能性を重視し、公家は寄り雅を重視し互いに競い合っていました。
されどこれらは上流階級のお話。
士農工商における農民以下にはお洒落の特権は与えられませんでした。
それでもない高い年貢米を取り立てられお洒落どころではありませんでした。
されどこれも実は幕府の作戦の一つでもありました。
吉宗の緊縮財政も大奥や将軍家には適用されずその皺寄せは農民以下の身分に行ったのでした。
それが明治維新以降、廃刀令や断髪令と同時に身分撤廃となり農民以下も自由に服を着れるようになりました。時代は開国の波を受けて西洋文化が花開き服飾にも自由な装いが出来るようになると多くの民がファッションを楽しむようになります。
一方で身分廃止となり今迄特権階級であった武士はその誇りである髷と刀を新政府に奪われ魂を抜かれた屍と成り果てました。
正に天国から地獄に落とされたのも同然です。
一部の武士は時代の波に上手く乗り時代の流れを引き寄せた物も居ました。
されど多くの武士は魂を抜かれ生きながら死んでいるような毎日を送ります。
それが新政府への不満となり戊辰戦争始め多くの旧幕府軍と新政府軍の長きに渡る争いの火種の元となったのです。
一方は地理的要因について。
日本人は所謂、中間色を昔から好む傾向にありました。
童謡にも『夕焼け小焼け』等中間色を歌う唱歌が数多く残されています。
又、日本食の多くも煮物を始めとして中間色を使用した食文化が花開いて居ます。
これは全て地理的要因が大きく影響しています。
アメリカやヨーロッパは国土が広大で隣国と接し常、争いが耐えませんでした。
故に独自色を強く打ち出し結束を固める必要がありました。
これが西洋諸国がビビッドな色を好む理由です。
翻り四方を海に囲まれ他国との争いもなく島国で定住型の日本人は『同化』する事で自らの存在感を消す事で異質性を取り除きそれが故に文明を築いて来ました。
それ故に仲間の結束をとても大事とし同じ服装にする事でその結束力を高めて行きました。それが日本人が制服に拘る一番の理由です。
されど開国以来多くの外国文化が流入し、又、外国との行き来ができるようになると今度は『国際人』としての『日本人』をアピールしなくてはいけない時代となりそれが昨今の『ナショナルカラー』の発展に繋がっています。
高が色、されど色。
高が制服、されど制服。
それらが存在する裏にはきちんとした歴史的背景が存在し、生来型遺伝子がそれを欲しているからに他なりません。
こういう事から様々な心理学的学説が生まれ、更に心理療法に繋がって行きます。
こういう歴史的研究も我々心理学者には必要な分野なのです。
『貴方の為は私の為』である常態行動心理学的根拠♪
『貴方の為は私の為』
教師は自分の成績アップの為、親は自らの立場維持或いは向上の為、医者や弁護士は自らの社会的立場の為、友は自らの知名度の為。
生物学的には『相手の為』は須く『自分の為』。
子供は大人程馬鹿じゃない。
幾ら綺麗事を大人が並べ立ててもその言葉の裏に有る真実をちゃんと読み取っています。
子供に嘘は行けません。
私は子供を相手にするとき必ず『俺の為だ』と言明しています。
すると子供はその真意をちゃんと汲み取り一生懸命勉強し、治療に専念してくれます。
子供は言います。
『先生は自分を誤魔化さない。だから私も自分を誤魔化さない。』と。
私はこう返します。
『生憎自分を誤魔化す程頭よくないんでな。君の事で精一杯だから』
子供は笑いながらされどその瞳の奥には親や教師には絶対見せない真剣な瞳を称えています。
私が今まで結果を出し続けたのは子供に『嘘』を付かなかったから。
子供を正直に育てたければ大人が先ず正直であるべきです。
2013年11月19日火曜日
常態行動ロールセラピーについて♪
心理療法の中の一つ『役割療法~ロールプレイセラピー~』は役割を『演じる』事で自己の中に眠る『抑圧された自分』を表に出しストレスを発散させ心の闇を祓うという物。
フロイトの時代は時代的に抑圧された女性が多くそれ故に診察室で『解放された自分』を『演じる事』で『抑圧された欲望』を表に出し『ストレス解放』させ主に『ヒステリック症候群』の治療に多大なる貢献をしてきました。
我が2000を越えるオリジナル療法の一つ『常態行動ロールセラピー』はこれを常態化させる事により『内に眠る多自己を覚醒』させ『表に引き出す』事が一番の肝です。
私はある目的を同胞に課して『もう一人の自分』を『演じる』事で『覚醒させ』そしてそれにより『場を変え』それによって『必要な人間を引き寄せる或いは取り戻す』事を叶えます。
大事な事は『演じている自分』も又、『もう一人の自分』である点です。
それが自覚できればゴールは目の前です♪
其をお導きにより引き寄せ奪われた愛を奪われた絆を奪われた信頼を取り戻すのがこのセラピーの一番の売りです。
2013年11月18日月曜日
『常態行動フィジカル心理学』について~或いは冬こそダイエットに最適な常態行動心理学的根拠について~
本日は『常態行動フィジカル心理学』のお話。
先日愛方が大腿部がスクワットのし過ぎで太くなったという話を聞き及びスクワットのやり方を聞いてそのやり方なら筋肉はつかないから大丈夫だと教えて差し上げました。
愛方はくるぶしに力を入れてスクワットをやっていたようでこれなら体重はくるぶしにかかるので大腿部が筋肉化するのを避けられます。
フィジカルトレーナーの方でも余りご存知無いようですが女性と男性では筋肉のつき方、脂肪のつき方が違います。
更に職種や日常生活における食の取り方によっても筋肉のつき方は一人一人違います。
つまり万人受けするダイエットは万人受けしないダイエットと言えます。
私はメンタルトレーナーとして幾人かのスポーツ選手のメンタル強化を頼まれましたがその際に希望部位に短期間で筋肉を付け、
逆に脂肪を効率良く燃焼させる術をお教えし試合で結果を出させて来ました。
只、闇雲にトレーニングをしても筋肉は披露するばかりで筋量を増やしたり脂肪を減らしたりは出来ません。
筋量を増やしたり脂肪を減らしたりするのはメンタル改善が必須条件です。
それによりその人にとっての理想的なボディーを作り出せます。
それと冬場と夏場では実は冬場の方が脂肪燃焼率は高いのです。
理由は暖かい物の多量摂取により汗をかき脂肪燃焼率を上げるからです。
冬場こそダイエットには最適な時期なのです。
これからも私は心理学的立場から理想的なダイエット法を様々なお悩みを抱える方々に提供しつつ今日も元気に頑張りましょう。
2013年11月12日火曜日
『止めたい悪癖を無理なく止められる常態行動心理学的方法について♪』
『常態行動選択嫌悪療法』とは我が2000を越えるオリジナル療法の一つで、嫌悪療法の亜流である。
嫌悪療法とは例えばネズミがcheeseを取ると電流が流れると言う仕組みを作りcheese自体を嫌いにさせると言うやり方である。
これは常習性行動、即ち依存症の治療に役立てられているが何せストレスが溜まる療法なので依存症は治るがその分ストレスで内蔵をやられる。
私の『常態行動選択嫌悪療法』はこれを常態行動(日常生活における無意識行動)から分析し止めさせる対象を二つから選択させ最終的に止めさせたい物を止めさせるやり方である。
最初は簡単に止められる物から徐々に選択させていき『止められる脳』を作っていく。
依存症が依存症たる所以はこの『止められる脳』を自らが作れない事に有る。
止めたいけど止められない。
止められない自分の意思の弱さに又、ストレスを感じると言う悪循環。
ならば止めたい物を止められる自分が出来ればその自分に自信が出来て止める事に対する意欲が沸いてきます。
すると継続的な我慢が叶い我慢が叶っている自分が好きになり更に我慢が叶うと言う好循環が出来上がります。
この『常態行動選択嫌悪療法』の一番の肝は選択肢の選定方法。
如何に簡単な物から徐々に困難な物にシフトさせていくかが肝です。
それは同胞の常態行動を精査せずには不可能。
一度挫折させてしまえば全てが水の泡です。
其れをさせずに止めたい物を止めさせるのがこの療法の一番の難しさであります。
その精査を怠らずに行えばどんな悪癖も改善が可能となります♪
『五感の心理学~或いは感覚の心理学』
『五感の心理学~或いは感覚の心理学』
先日何時も私が利用している駅の駅員が私がホームで葉巻を吸っている際、悪戯で脅かしてやろうと背後からそっと近づいてきた。
私の真後ろに立ち今正に驚かさんと声を上げようとした刹那ー『何か用か?』と私は振り返りもせず応えた。
驚かせようとした相手が逆に仰天。
『悪いな、俺には目が後ろについているからな』と一笑。
心底肝を潰した駅員はそれ以降我が背後には立たなくなりました。
では何故私は音もなく近づいてきた駅員が解ったのでしょう。
此処で先ず五感について少し考えてみましょう。
五感ー即ち、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触るの五感の事ですね。
そして各々は各器官でのみ感じ取られると一般的には考えられています。
即ち見るは目、聞くは耳、嗅ぐは鼻、味わうは舌、触るは手足だと。
されど多くの人は誤解をしている。
見るも聞くも嗅ぐも味わうも触るも全て『感じる』事であるという事を。
事実、日本語の中にも『目で味わう』や『舌で聞く』と言う言葉が有ります。
即ち『感じる』という括りで考えれば五感全てで『感じる』事が出来ます。
では件の駅員が背後から近づいてきた事をどうして察知できたのでしょうか?
当日は風が強く日差しも強い午後でした。更に彼は香水の残り香があった。
私の後ろに立てば風が遮られ、日差しも彼が影となる為弱くなり、香水の残り香がし、そして地面に有る砂を踏む音がします。
つまり触覚と視覚と嗅覚と聴覚で彼が私の後ろに立った事が解りました。
勿論彼にはこの話をしていません。
彼は今も私は後ろに目があると信じて疑わないようなので(笑)
この五感で『感じる』事が出来るとその人を見ただけで職業や年齢や出生地及び居住地が解ります。
それが解ればその人の持つ『悩み事』も自ずと解ってきます。
これが同胞が椅子に座る前に同胞の悩みの種を当てる種明かしです。
勿論同胞には種を明かしてませんが♪
これが瀬木マジックと言われる所以。
近所の小学生に『魔法使いのおじちゃん』と言われる所以です(笑)
2013年11月9日土曜日
『人依存症』に対する常態行動心理学的アプローチについて!?
『依存症』というと一般的には薬物やアルコールや買い物等『物』に、依存する人の事を指す場合が多いが実は『人』に依存する『依存症』の方が遥かに多く又、深刻である。
例えば著名人、例えば医者、例えば占い師等々。
セラピスト依存症という物も勿論存在し最初はメンタル疾患で我が門を叩かれるのだが段々と道標化し、何事か有れば直ぐに連絡を寄越す事になる。
私も多忙を極める身なれば中々相手に出来ない時もある。
何よりもセラピスト依存になってしまったらお心の病を治し自立させる為に頑張って居るのが無駄になり本末転倒となる。
その場合は敢えて同胞が自ら答えを出せる問題に対して間違った見解を示す。
それを何度か繰り返すと当然信用度は落ちる。
人間が人に頼るのはこの信用度が実はとても関係している。
そして殆んどの場合日本においては肩書きや権威がその対象となる場合が多い。
即ち人ではなく肩書きに信頼や信用をおきそして依存するのだ。
故に敢えて間違った見解を示せば信用は落ち自らが思考する事を覚え自立してくれる。
勿論私の事はボロカス言われ悪評もたつが何処吹く風である。
同胞の自立が最優先。
失われた信用は又、一から積み直せばよい。
同じように政治家や、医者や、専門家、著名人、占い師等に依存する方にはその専門で勝負し彼らの化けの皮を剥ぐ形で依存から脱却させる方法ともう一つ方法がある。
それが我が2000を越えるオリジナル心理学の1つ。
『遠隔操作セラピー』である。
何かに誰かに依存する人は自己の多面性を知らず自信がない人が殆んどである。
ならば、近親者が悩める人の自己の多面性を知っており威風堂々としていたらどうなりますか?
そうなれば依存対象は他者から身内に変わります。
そして今まで信じきっていた権威に疑問や疑念を抱き始めます。
そうなれば依存症からは脱却したも同然です。
私は依存者よりも家庭内で若しくは近隣で依存者から下位に位置する者の地位を数段上げるようにしています。
そして依存者よりも威風堂々とさせるように振る舞わせます。
すると最初は訝しがり今度は依存している自分の方がおかしいのでは?という方向に持っていきます。
このセラピーの肝は依存者が依存している点を見抜きそれを改善する改善方法を下位に位置する者達に指導し教える事です。
その為に必要な事は情報収集力。
されどこれも又、我が2000を越えるオリジナル心理学の1つ。
『場の心理学』を用いれば容易に情報収集は、叶います。
同じ場所にいる人間は同じ方向性を持っています。故に場当たり数的に一人の行動パターンが解ればその場の構成員の行動パターンが解ります。
これも長年20年以上人の心を見続けたからこそ得られる物。
伊達に20年以上人の心ばかりを見続けてはいません。
こうしてお身内や近親者問題で悩む多くの方々の問題解決に寄与しています。
これからも私は様々な方法でこれらの問題に取り組んでいく所存。
それが我が存在意義ですから。
常態行動様相心理学について♪
『常態行動様相心理学』とは私の2000を越えるオリジナル心理学の1つ。
その人の立ち居振舞いからその人の職業、居住地、過去を探り今現在のお心の病の根元が何処に有るかを探る心理学。
深層心理学の亜流だと思って貰えば当たらずとも遠からずである。
例えば母は元看護師で手術場経験者。
勿論私の入院先の病院では母は昔の職業について何も語らぬが古株の看護師には母が元看護師である事はバレバレである。
それは母の私に対する接し方や病院器具の呼び名の呼び方で解る。例えば導尿カテーテルの事を母はドレンという。
此れは病院関係者でなければ解らない呼び名である。
同様にコッヘル等も同様である。
又、医者が回診に来た時の介助の仕方も素人ではできない手際よさである。
勿論その殆どは私を生んだ後に母が学んだ事だというがそれはそれ。
『昔とった杵柄』が活かされない訳がない。
上記の例を見ても解る通り職業人は須くその職業人でなければやらない行動や言動を無意識に行っている。
此が『常態行動心理学』の妙である。
そしてその職業が解れば何故その職業に就いたかその理由も明らかとなる。
その理由の一つに必ず居住地の影響は切っても切れない関係にある。
単に家業を継いだとしてもその職業により居住地の選定は容易である。
又、その居住地でしか、取れない物や売れない物、その居住地で多く取れる物や売れる物がある。
その取れる物、売れる物により性格や趣味嗜好も浅からず影響を受ける。
例えば漁村出身者の多くが現在人手不足に悩み後継者問題に悩まされている現実がある。
漁師になる若者の中にはそういう現実から逃避したくて都会に出る者も居るしそういう現実から逃げず受け入れて漁師になるものもいる。
漁師になる事から逃げて他の職業についた者の中には魚や海や釣りといった海関係に過剰反応する者も居る。
それは自らが小さい頃から漁村で育ち将来を半ば決められそれに抗い都会へ逃げてきた負い目から来るものである。
逆に受け入れた者の中には少しでも地元の為にと逆に魚関係の話になると熱くなる人も居る。
それは漁師という仕事に誇りと責任を持ちそれ故の熱さと言うべきである。
又、普段食べている魚や好きな魚、嫌いな魚から居住地をある程度選定可能。
そうなるとどういう人生を歩まれてきたか?それを推し量る事も可能となる。
こうしてその人の立ち居振舞いからその人の凡る情報を集めお心の病の根本を探りそして病巣を除去していく。
これも心理職には求められるスキルのひとつである。
2013年11月8日金曜日
『ストレスを感じると暴飲暴食に走る常態行動心理学的根拠について♪』
人によりストレス発散法は様々♪
カラオケで歌いまくる人。
パンチングマシンで殴りまくる人。
酒をのみ叫ぶ人。
兎に角只管食べまくる人等々。
人に危害を加えたり自らのストレス発散の為に誰かに新たなストレスを掛けない限りストレス発散法は自由で良い。
特に食に走る人は国内経済活性化に一役買ってくれているので寧ろ経済学的には喜ばしい限りである。
されど何故人はストレスを感じると食に走るのだろう?
実はその理由は噛む事と排泄する事に大きな理由がある。
人間が他の生物よりも進化したのは二足歩行を覚えた事と早くから噛む事を覚えたからである。
細胞学的に細胞は刺激により分裂しその数を増やし成長していく。
噛むという行為はこの細胞の成長に実に密接に関係している。
噛む事で脳に刺激が行きそれが細胞を活性化させる。
それは同時に遺伝子情報のアップデートの意味を持っている。
人間がストレスを感じるのは変化が滞った時にストレスを感じるようにできている。
例えば思うように事が運ばなかったり人が言う事を聞いてくれなかったり。
それは自らの行動の進行を何れも阻害する行為であり変化を阻害する行為である。
人間の脳は刺激と反応により成長進化している。
逆を言えば刺激がなければ何の反応もなくそれは脳の退化を示している。
其がストレスの正体である。
それを噛む事で脳に刺激を与え止まっていた細胞の成長を促す事でストレスの軽減となっている。
同時に物を食べれば必然的にトイレに行き排泄したくなる。
この排泄行為は人間の三大欲求の内の一つである(残りは食欲と睡眠欲)。
食べる事と出す事、そして満たされて寝る事。
これで人間の三大欲求は全て満たされる。
故に人はストレスを感じると食に走るのである。
されどそれも過ぎたるは及ばざるが如し。
後で体重計に乗り新たなストレスを生まぬよう御用心御用心♪
2013年11月7日木曜日
人の死について常態行動心理学的に分析する♪
先頃川上哲治元・読売巨人軍監督の逝去に巨人ファンは元より多くの野球ファン及びスポーツを愛する全ての人の涙を誘いました。
巨人ファンならずとも野球界及びスポーツ界にも多大なる功績を残され日本におけるスポーツ文化の育成や発展に寄与された功績は世界の人々も知る事と思います。
氏の逝去に触れて人の死が遺された者に与える影響について改めて考えさせられました。
嘗て某有名グループのメインボーカリストが麻薬に手を染めて実刑判決を受けてメンバーのグループ残留要請を固辞、グループ脱退が世間を賑わせました。
氏が麻薬に手を染めるきっかけとなったのは最愛の奥様の死でした。
私自身5年以上前に長患いの結果、父を亡くしその喪失感から心に空いた穴を埋めるに当たり数年を要し、今もまだ完全に喪失感から抜け出せない自分がいます。
それは脳の誤動作にその原因があります。
長年連れ添うと脳はその人の存在を風景の一部と認識しその人の存在や含めた五感情報を常、集めます。
されど人の死によりその人が消える事により五感で感じていた情報がいきなり喪失し失われたデータの喪失により脳が誤動作を起こしそれが生命危機に陥らない為に記憶の補完機能により脳から徐々に五感情報をアップデートする事で脳に与える打撃を抑える為に人は涙し記憶に深くその人の存在を刻むのだと考えています。
阪神淡路大震災及び東日本大震災時にも私はメンタリストとしてこの事を現地スタッフに伝え多くのご遺族のメンタルケアに務めました。
これからも私は私自身身内を失った悲しみを克服した経験者として同じ身内を失ったご遺族の悲しみと寄り添いながら悲しみからの脱却に寄与したいと願いつつ今日も元気に頑張りましょう。
2013年11月6日水曜日
経年によりお酒を飲まなくなるのは飲めなくなるのではない常態行動心理学的根拠について♪
私自身もそうだが経年により酒量が少なくなり歓楽街に足を運ぶ回数が減った。
これを多くの人は経年による衰えとする人が多いが実は違う。
それは酒を飲む事が常態化され刺激を多く得られなくなった為である。
若輩の頃は酒を飲める自分が誇らしく思える時期がありそれにより酒を飲む行為自体に刺激を得られる。
されど経年による経験により酒を飲む機会が多い人程常態化しやすく割と早い時期に飲酒から卒業し違う刺激を求めるようになる。
勿論若い頃に浴びるように酒を飲んだ人は肝臓の解毒作用が経年により落ちていく事は事実である。
されど酒を飲まなくなるのは何も生物学的理由からだけではない。
中には酒場から遠ざかる自分の姿に経年による衰えを感じる人も居られるが決してそれだけが理由ではない。
飲めなくなるのではなく飲まなくなるのだ。
それを考え違いして一喜一憂するのは余り賢明な判断とは言えない。
年末は何かと飲む機会も増えていく。
どうせ飲むなら楽しくお酒を嗜みたいではないか。
今日からはもっと良いお酒の飲み方をしたいものである。
人の趣味嗜好にケチを付ける人の常態行動心理学的根拠について♪
その物自体に法的違法性が無い限り人の趣味嗜好に難癖を付ける人間は自己否定型の人間が多い。
人に対する否定は自分に対する否定でありそれは人に認めて貰いたいという心の裏返しである。
されど人間は本当に求める物を隠す生物学的習性が有るので認めて貰えない歯痒さから人の趣味嗜好にも素直に同意を示さない人が多い。
或いはその同意がよりその発案者の人気を高める物となる場合も又、人はそれに対し反意を示す傾向に有る。
それは生物学的生存本能が成せる業でありそれを認める事が自らの生存確率を落とす事に繋がると思い込んでいるからである。
そういう方には自己の持つ多面性をお教えし自らの生存確率を増やす道をお示ししそれにより人の趣味嗜好に対する否定的感情を無くすようにしている。
どうせなら楽しく人間関係を送りたいじゃないですか。
そのお手伝いをさせて貰って居ます♪
経済産業省による原産地規則偽装を許すな!!
食品偽装問題が浮上する中、経済産業省による原産地規則偽装に関してマスコミ等が口を閉ざすは政府の圧力か?
例えば外国産茸の原木を輸入し国内で栽培した場合国産表記となる。
これは明らかな国による食品偽装。
握り寿司のネタ等は殆どを輸入に頼り国内で握れば国産となる。
これこそ食品偽装である。
国民が知らないだけで済まされる問題ではない。
きちんとマスコミ等を通じてそれらは告知されるべき問題である。
されど実際は殆ど告知されておらず多くの消費者は『国産』という文字に騙されて購入している。
国による合法的な食品偽装は罪に問われず一企業の食品偽装は罪に問われるとするならば法治国家の名が廃る。
まあ既に0増5減の違憲状態を長く続け裁判所からの再三の改善命令をも無視している無政府状態で何を言っても無駄であろうが。
されど国民は馬鹿じゃない。
己が天に掃いた唾は己の面に掛かる事を失念されるべきではない。
何れ国民の厳しい審判は下される。
それまでせいぜい甘露を味わうべし。
2013年11月5日火曜日
呼吸器系及びアレルギー性及び精神疾患が薬では治らない常態行動心理学的根拠について♪
私自身呼吸器系の疾患を長らく患っている人間なので言えるのだが呼吸器系疾患は薬では治らない。
呼吸器系疾患の治療薬の多くはアレルギー性疾患の治療薬と同じ神経麻痺薬である。
つまり神経過敏を神経を麻痺させる事で軽減させようというのが西洋医学の考え方であり、所謂対処療法である。
抗うつ剤に代表される精神安定剤や神経薬も神経麻痺薬である。
されどこれは神経を麻痺させ過敏を抑える迄は良いのだが咽喉頭における嚥下率を落としたり思考力を低下させたりという弊害もあり、交通事故や判断ミスによる別の影響を与えやすい。
我々は呼吸器系疾患及びアレルギー性疾患及び精神疾患をメンタル強化により治癒又は改善する事に成功し多くの上記疾病に悩む方々を完治或いは快方に向かわせている。
確かに西洋薬のような即効性は無いが西洋薬のような弊害もなく別の疾患を与える危険性もない。
余病を引き起こしたり薬の大量摂取による内蔵疾患もない。
どちらが体に良いかは言うに及ばずである。
本来、薬の役割は体内機能回復及び強化が主たる目的である。
それらは脳が支配しておりメンタリティを上げる事で代替可能な物。
これからも我々は西洋薬に頼らない治療により上記疾病改善に寄与していく所存である。
『愛情の心理学~或いは情けを愛する心理学~』
最近、セックスレスや少子化、ジェンダーの問題等様々な観点から『愛情』について各メディアで報じられ論じられる部分があり政府も数年前から少子化担当相を置き真剣にこの問題に取り組んでいる。
冒頭でも触れたが最近、セックスレスの夫婦が増え其れが社会問題にまで発展してきている。
人間が現在の進化を遂げた裏にはセックスを単なる子孫繁栄だけでなく欲求を満たす道具とした事にある。
生物学的には生物の進化には刺激と反応が大事でありその刺激と反応により細胞が活性化されそれが生物学的進化に結び付いている。
この脳に送る刺激をより多く得る為に人間は性交渉を快楽の道具としより多くの脳刺激を得て現在に至っている。
されどそれは新たな問題を生む契機ともなった。
つまりセックスが常態化され其れがない事が異常な状態だとする間違った考え方の流布である。
快楽の得方が多様化するに当たりそれらの与え方求め方も多様化しその需要と供給の形が増えた為に結果的にそれらを合わせる事事態がとても困難となりそれが現在の少子化やセックスレスの原因となっている気がしてならない。
体を重ねる事だけがセックスではない。幾ら体を重ねても心が重ならなければそれは意味がない。
子孫繁栄だけを主眼におけば体外受精でも子孫は残せる。
そうではなく心と心の方向性を合わせる事がとても大事なのである。
所謂不感症で我が門を叩く人が最近増えているがそれは他者との触れあいに於ける不感症であり自慰行為においては充分快感を得られているというデータがある。
これは相手がいるが故に感じなくてはいけないというプレッシャーが感じていないという信号をより多く脳に送る事が原因である。
こういう方には自慰行為を常態化させそれにより感じる脳を作り出しそれにより他者との性交渉においても快感を得られるようご指導差し上げ多くの不感症患者の改善に寄与している。
何より各メディアにおける間違った『愛の交換』法則に騙されないようご指導差し上げている。
『愛の交換』とは体を重ねる事ではなく心を重ねる事である。
『愛情』とは『情けを愛する』事であり『体を愛する』事ではない。
間違ったマスコミのプロパガンダに騙され流されないようこれからも私は私が考える『正しい愛の交換法則』を伝授していきたいと願って居る。
健康食品会社の違法行為を見逃すな!?
ダイエット会社及び健康食品会社が打つ広告の中には違法性を問われる危険性の持つ物もある。
例えば毎日水を3リットル飲み続けると美肌になるは殺人幇助罪に問われる危険性がある広告の一つ。
腎臓の解毒作用には個人差があり3リットル飲んでも大丈夫な人とそうでない人に分けられる。
大丈夫な人は問題ないが解毒率の悪い人にとっては水腎症を引き起こす要因となり結果的に死を速める要因。
それを明記せぬは殺人幇助罪に該当する。
警視庁及び公共広告機構及びBPOはこういう広告こそ規制をかけるべきである。
小さく明記していたとしも目の悪い方にはそれが見えない。
明記とは明るく記すとかく。
小さく端っこに書く事は明記に非ず。
こういう違反広告こそ警視庁は取り締まりを強化すべきである。
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