常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2013年11月25日月曜日
養子縁組に於ける常態行動心理学的解釈について♪
本日は『養子縁組』の話。
最近、一時期衰退していた『養子縁組』が又、再燃しているとの話を聞きました。
きっかけは神社に捨てられて行く赤子の生命と人権を守りたいという住職の暖かいお心から。
されどそれを良い事にどんどん養子に出す若い夫婦が急増しそれが今、大きな社会問題にまで発展しています。
我が家も母方の叔父が戦後の復興期の中で食い扶持を減らす為に養子に出されたという話を叔父から聞いた事が有ります。
幼児期の頃は解らずとも物心つけば自分の親と自分の血の繋がりがない事に苦悩する時期は必ず来ます。
養子に出す親は貧乏な暮らしの中で不自由をさせるよりも裕福な家で育てる方が子供の為だと自分に言い聞かせて養子に出します。
されど出された方は『何故自分だけが』という寂寥感と孤独感に長く苦しめられる事となります。
勿論親御さんの気持ちが解らない訳では有りません。
中には叔父のように養子先の養父母に実の親以上に大事に育てられる人もいます。
されど一方で『他人の子』という態度を露わにする養父母も居ます。
幼少期に疎外感や孤独感を心に受けた子の多くは感情機能障害になる可能性を秘めています。
実際我が門を叩く同胞の中にも幼少期に養子に出され幼少期にに与えられらべき感受性を養父母から与えられず感情の表し方が解らないとする方を多く見てきました。
人間にとって、もっと端的に言えば生物にとって富裕は生きる事の問題には余りなりません。
貧乏でも家族が一丸となり一生懸命生きていれば幸福感は充分得られます。
されど富裕の為に子供を養子に出せば子供の中では『捨てられた』という意識はどうしても芽生えてきます。
捨て子となるよりかは養子になる方が遥かに増しですが親のエゴで捨て子や養子に出す事だけは今一度熟慮していただきたいと思います。
本当に子供の幸せを願うなら苦しい生活の中でも一生懸命育てる事こそが大事だと私は考えます。
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