常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2013年11月26日火曜日
自殺における国内外の格差に対する常態行動心理学的理由について♪
さて、今日は『自殺』のお話。
大学在学中、フランス社会学者のエミール デュルケムの『自殺論』を読破した学生は本当に自殺をするという噂が流れた事が有りました。
若い頃は感受性が高く『自殺論』に深く感銘し共感した若者が死を選んでも不思議はありません。
されど日本では『自殺』に対する社会認識が欧米諸国とは大分違うように思えます。
第一、脳死を人の死と認めるのに自殺に関してはその認識はとても薄く遺族年金等家族に残されるお金はとても僅かであり、家長が借金苦で自殺をした家の末路はとても悲惨極まりない物となります。
それが元で経済的困窮を極め自殺の連鎖が起こる場合も日本においては少なからずあります。
日本は武士の時代から『切腹』という日本独自の美意識があり、この美意識は後の『特攻隊』にその魂は受け継がれるのですが海外での認知度、理解度はとても低いように思われます。
超心理学的には『自殺』は現世における修行の放棄に当たり、それは神への冒涜とされ、未来永劫成仏出来ず地縛霊となり現世を彷徨い続けると考えられています。
この考え方からもやはり日本においては『自殺』に対する社会の認知はとても良くないようです。
これは日本が島国であり一人一人が家族や国の経済の基盤を支える担い手であるという考えが古くからある為だと考えられます。
アメリカや中国のような広大な土地柄と日本のように狭い国土では国民1人に課せられる労働力比率が違います。
それが自殺に対する認識の違いだと考えられます。
されど私は一心理学者として今迄数多くの自殺者を身内に持つ御遺族のメンタルケアを行ってきましたがその殆どがパワハラやセクハラであり、これらは『労災認定』されるべき社会問題であり、国が法制化すべき社会的病理と考えます。
私自身も嘗ては自殺未遂経験者だから解りますが、自殺をする人達は自らの持つ多面性を知らずそれ故に苦悩し逃避行動としての自殺を考える人が殆どだと思います。
逆を言えば自らの持つ多面性を知る事が出来ればその多面性に逃げ場が出来て自殺をせずに済みます。
これからも私はそういう自殺志願者に自らの持つ多面性をお教えし自殺阻止に尽力する所存。
今日も元気に頑張りましょう。
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