人にはそれぞれ固有の愛称がある。
そしてその愛称の分だけ人格も又存在する。
各々違う愛称を持つという事はその愛称で呼ぶ相手の中に各々違う自分の人格が形成されていると言う事を指し示している。
そしてそれこそが人が多面的存在である証拠で有る。
どれが正しくてどれが間違いという事はない。
全てが正しく全てが自分自身なのだ。
人という字は互いが互いを支え合っている形をとっている。
見方を変えれば互いが互いを認め合う形とも言える。
人が人たり得るのは他者が自者を人と認めし故である。
誰もが人と認めずは人ならざるやで有る。
人が人たり得るは人型であるからに非ず。
人が人と認めし故である。
願わくば死ぬ迄人たり得たいと願うもので有る。
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