常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2012年5月27日日曜日
常識の適用範囲について
私自身も珠に使うが気をつけている言葉がある。
それは『これは常識の範囲内だろ』と言う言葉。
そもそも『常識』とは英語で『common senses』、つまり『共通認識』の事である。
つまり自分が信じる事に対して周りの理解が6割りを超える事が必須条件である。
そう考えれば『常識』とは場所的依存性が有る。
都会と田舎、日本と外国、男性と女性、大人と子供それぞれその『場』を構成する構成員の6割りを超える賛同を得られなければそれは『常識』とは呼べず寧ろ『非常識』と呼ばれる側となる場合もある。
又、横軸的ではなく縦軸的な依存性も又、『常識の適用範囲』には有る。
例えば戦時中敵国の兵士を殺める事はその数が多ければ多い程良い事とされそれが『常識』となって居た。
翻り現代、辛い戦争を経験し二度と再び同じ過ちを冒したくないとする方々にとってそれは『非常識』となって居る。
時代の変容と共に又、『常識』の形も変容してきているのだ。
更に経済面でもそれらは適用されている。
今は権力及び財力のの一極集中は『独占禁止法』『財閥解体法』等で規制されているが幕藩体制時はそれを多く集めた者だけが天下人となる事が出来た。
猿から天下人となった豊臣秀吉がその好例である。
今でも『適法範囲内』の一極集中は容認乃至は黙認されている。
以上の様に『常識』とはその適法範囲内においてのみ行使されるべきものである。
『一般常識』といえどそれは変わらぬと言う事を考慮されたし。
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