常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2012年5月29日火曜日
『情けは人の為ならず』の誤読の生物学的正当性について
『情けは人の為ならず』という言葉は本来『情けを人に掛けては行けない』という意味ではなく『情けを人に掛けていると巡り巡って自分に返って来るよ』という意味。裏返せば『人に悪い事をするとそれも自分に返って来るよ』と言う『善因善果悪因悪果』の精神に則った言葉で有る。
先に述べた通り『情けを人にかけてはいけない』と言う意味では無いのだが生物学的には『情けは余り掛けすぎてはいけない』ようである。
と言うのも相手が返せる程度の情けなら良いのだが相手が返せない程の情けはそれは精神的ストレスとなり有り難みが減るからである。
人間がストレスを感じるのは何も自分に対してマイナスの要因ばかりではない。
自分にとってプラス要因でもそれがキャパシティを越えればストレスとなる。
実はこれは生物学的根拠に基づいている。
生物学的には人間が『情けを掛けられる』事はソーシャルポジション的に相手より下位に自らを置く行為と成る。
勿論情けをかける側はそんな事など露ほども感じては居まい(偶に感じるお馬鹿さんも居るが)。
されど社会的認知においては情けを掛けられた方より明らかに掛けた方に目がいく。
それは生物学的生存本能を脅かす結果となりかねない。
何故なら自分より相手の方が認知度が上がれば自分を守る存在が此方から彼方へ移る可能性が有る。
又、サバイバリズム的にもより強い物を持つ者に人は惹かれる傾向に有る。
これは人間が知恵以外硬い鱗も鋭い爪も持たず自己防衛手段を自らが持たぬが故である。
以上の様な事から必要以上に『情け』を相手に掛ける事は余り良い事とは言えない。
まぁぶっちゃけ情けを掛けられる事が常態化し自ら研鑽努力せず依存度が増せば結果生物学的ではなくとも廃人となるは必定。
自ら研鑽努力する事こそ大事と言う物で有る。
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