2012年5月24日木曜日

社会学的ラベリング論の心理学的解釈について

良く人から私が言われる事。 『貴方はどういう人?』 これは性格的や仕事的な意味をさしている場合が多い。 そういう人に私は必ずこう返します。 『貴方は私をどういう人だと思いますか?』と。 すると大抵の場合その人が考える『私像』を話して下さる。 大抵の場合『まぁ所詮その程度の認識しかないだろうな、見た目で判断か』と言う物が多いが中には『お!中々良くみてるやん、コイツやりよるな』というものも。 そして前者の方には『なるほどね。確かにそれも私という存在のほんの一側面ではあります。されど人間は須らく多面的存在であり単面的存在に非ず。貴方から見た私がもしもそれだけだとしたらそれは残念な事ですね』と申し上げる。 翻り後者の方には『なるほど。中々面白い見方をされますね。概して私は見た目から大体判断される事が多いのですが貴方は私の外見では無く中身を見て判断された。それは素晴らしいと思います。されどそれも又私という人物を語る上での一側面であり全てに非ず。だからこそ人という存在は面白いんですけどね』と。 嘗て私が出会った人の中でこの人凄いなと思ったのは、 『多分貴方は一般的にはこう思われていると思う。されど実際は違う。貴方はこういう面も有りこういう面も有る。こういう面をこういう風に活かせばもっと良くなると思うよ』と。 この人の名は敢えて伏せますが我がマイメンターのお一人だと申し上げておきましょう(笑) 人の持つ多面性は一言で語れる物では有りません。 人から勝手にラベリング(イメージ固定)され嫌な思いをした事がある方も少なく無い筈。されど案外そういう人も自分以外の相手には案外とラベリングしている物です。 昔の人は良き言葉を残されている。 『人のふり見て我がふり直せ』 人からラベリングされ嫌な経験を持っている人は自らも人を勝手にラベリングしていないか今一度我が身を振り返って見る事も又大事かも知れませんね。

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