2012年8月27日月曜日

フォトアルに見る自分探しの旅四類型

先日『フォトアルバムにセルフフォト載せて居る人は自分が好きな人ではなく自分が嫌いで本当の自分を見つける為に多くのフォトを撮って居る』というお話を書いたが今度はその『多くのセルフフォトの中身』のお話。 セルフフォトと言っても様々な物がある。 ファッションショー見たく毎回衣装やポージングを変える物。 映画のポスターや漫画の一コマの中に自らをコラージュ為せる物。 風景一体型で主に自分よりも風景をメインに撮って居る物。 そしてエロ写メ(笑) だが実はこれも全て『自分探しの旅』突っ込んだ言い方をすれば『自分を見る他者の反応から本当の自分を探す旅』と言うべきだろうか。 エロ写メを撮る多くの人の目は何故かとても寂しげである。 それは”男なんてみんなこんなもん、エロいの大好きな下衆”と解っていてもその中に”本当の自分の姿を見てくれる目を持つ人”を探しこういうやり方でしか”本当の自分の姿を見てくれる目を持つ人を探せない自分”に対して妙に冷めた目で自分を他者視点で見て居る人。 風景一体型の人は芸術性に富み風景と自分を同化させる事で風景と自分の価値を同価値とする人が多くそれらは自分自身を過小評価している人が多い。 所謂『虎の威を借る狐』である。 世界遺産や有名な風景と自分を同化させ同価値としている人が多い。 自らをコラージュする人は変身願望が強く自らの中に眠る多面的存在である自己を表現する方法としてコラージュを選択する人が多い。 誰氏も一度は憧れるヒーローヒロインにコラージュでなる事で自らの中のヒロイズムを追求する人が多い。 毎回衣装やポージングを変える人はエンターテイメント性を持ち人も自らも共に楽しみたいという感情共有型の人が多い。こういう人は独特の場を持っていてその場に居る人を楽しませる事に全身全霊を注ぐ。 何にせよ『他者の目の中に映る本当の自分』を探すという行為の共通性は変わらない。そしてその行為を繰り返して居る限り『本当の自分』を見つける事はとても困難だと言って良い。何故なら人それぞれの見方、視点が異なっているからである。 それらはサンプルにはなっても参考材料以上の価値は無い。 本当の自分は自分の中にある。 先ずはそこに気付く事が大事である。

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