常態行動心理学者の瀬木と申します。 ”常態行動”とは人間が普段、無意識的に行っている行動の事。 例えば朝起きて歯を磨き朝食を食べ、仕事をして、昼食を食べ、仕事再開し、帰宅、夕飯食べて、歯を磨いて寝るという一連の行動形態の事を指しています。 その”日常生活の無意識行動”の中に実は様々な問題が内包されている事に多くの方は気付いておられない。その諸問題を解決する為、何かと難しいと思われている心理学と言う分野を解り易く生活に根ざしたテーマを元に説明させていただきたいと思っています。
2012年8月31日金曜日
サボタージュの心理学〜或いはサボりたいのにサボれない理由とは?の心理学〜
サボりたいのにサボれない。
周りは皆上手くサボってるのに私だけ一人真面目にやるなんて馬鹿見たい、私だってサボりたい…と嘆かれる人は結構多い。
『サボる』の語源は『サボタージュ』で産業革命以後の言わば雇い主の不当な扱いに対する民衆の抗議行動がその起源である。
今みたいに『怠けたいからサボる』なんて意味合いでは無い。
立派な政治的抗議行動であった。
それが何時の頃からか『仕事や学業を怠ける』意味に内容が転嫁してしてしまった。全く嘆かわしい事である。
私も愛方もサボりベタであり周りを見てもやはり『類は友を呼ぶ』のかサボりベタな方々が多い。
勤労意欲が旺盛であるかどうかは別として不器用なのだと思う。
では『サボり上手』と『サボり下手』の違いは何処に有るか?
それは『自分の価値を知っているか否か?』の違いだけで有る。
『自分の価値』を知っている者はどうせ所詮私はこの程度。
頑張った所で高が知れて居る、ならば必要以上に頑張らなくてもいいじゃ無いかと言う事になり上手くサボれるようになる。
翻り『自分の価値』を知らぬ者は『周りの自分の評価』が気になりサボると評価が下がるんじゃ無いか?人から見下さられるんじゃないかと不安が顔を擡げサボれなくなる。
されどこの『自分の価値』を知ると言う行為は結構大変。
先の『サボれる人』は或る程度『自分の価値』を知っているかもしれないがその先に有る『未だ発掘されていない隠れた自分自身の価値』についてはご存知ない。
同じく『サボれない人』は『自分の価値』を知らないが故にサボれず結果『自らの価値』を知らず知らず高めている。
どちらが良いかはこれを読む人の判断に委ねたいと思う。
だが、『兎と亀』や『北風と太陽』の例を出すまでもなく横着をしたり強引過ぎるのは失敗のもとである事は間違いない。
堅実に着実に強引過ぎずと言うのが一番良いと私は考える。
これも不器用であるがゆえの言い訳か?(笑)
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