2012年8月29日水曜日

尖閣諸島問題に見る歴史の生き証人の非正統性について

『歴史の生き証人』は『生き証人』ではない。 

時代の出来事は其の時代に生きた人でしか語る事はできない。 
だがその時代に生きた人が全て『真実』を語る訳では無い。 

まして戦時下の話はプロパガンダされ特に日本の戦時中の話は軍部によって敗戦濃厚であったとしても『勝機万戦』と伝えられていて其れだけで既に『歴史』は塗り替えられている。 

更に戦時下のような極限状態ではプロパガンダを受け易い精神状態に有り一種の催眠状態に陥りやすい。 
故に目の前に有る物を毒だと言われれば無毒でも毒に見える。

そういう精神状態の中で真実を見極める事は大変困難で有る。 

又、人間の脳は降りかかる不幸が大きければ大きい程脳へのダメージを抑え精神破壊せぬよう記憶が勝手に塗り替えられる。 
時の経過も又、生命維持の観点から思い出補正が強くかかる。

 林檎を見た直後は林檎と言えた物が時の経過と共に梨に成る事は珍しい事ではない(つまり全くの別物)。

 歴史書も又、同じ役割を持っている。

 歴史書が全てノンフィクションである保証はどこにも無い。 
軍部の命令により又は自身の判断で書き換えられフィクションとなる事は往々にして有る事である。

 以上の事から『歴史の生き証人』は『必ずしも正史を語る存在では無い』と言う事がお分かり頂けたと思う。

 今の尖閣諸島問題もこれに同じ。 

歴史的書物や生き証人をどれだけ揃えてもそれらに何の確証も真実も無い。
過去の所有権を巡り争うよりも今の所有者をどうするか?それを考える方がより賢明だと私は考える物である。

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