2012年4月10日火曜日

『新人』は免罪符に非ず、職業意識を持たぬ者にサラリーを戴く資格無し!


この時期になると其処彼処で"新人研修生"と言う名札を持つ人を各所で見つける。

されど"馴れない"事と"職業意識が低い"事は同義ではない。

一度や二度の失敗は寛容で居られるが流石に三度目となると寛容では居られない。
上役を出し激しく叱責し猛省を促す。

それでへこたれたり自らの未熟さを恥じぬ者にサラリーを頂く資格はない。

日本は資本主義国家であり共産主義国家ではない。
楽をしたければ共産主義圏へ移住なさるが寛容である。

だが幾ら儲けても国の物と成り職業意識が更に薄れる事は請け合い。
働く喜びを感じないままあの世に行く事と成る事は覚悟の上でだが。


資本主義国家に於いては『需要と供給』がなされて始めてその体を為す。
お金を払う側、お金を貰う側双方同立場でありどちらが上でどちらが下という事は無し。

『お客様は神様です』とは元浪曲師の経歴を持つ某大物演歌歌手の名台詞。
だがお金を払ってサービスを受ける事は特権に非ず、人間はあくまで人間、神にはなれずである。


されど新人と言えどお金を頂く以上『プロ意識』は持って然るべし。
嘗て我が逆鱗に触れそれでもその叱責に耐えし者は皆大成し立派に指導する立場になっている。

氏方々は言う『あの時怒られ正直腹が立ちましたが其処でぐっと感情を抑え何糞根性でこれまで頑張って来れました。あの時先生に叱責を受けなかったら今の私は有りません』と。

私は言う『最初から大成しないと解っている者に無駄な時間を割く程私は暇人じゃない。我が叱責に耐え成功すると解ればこそ愛の鞭も振るう物さ』と。

氏方々とは今も強い絆で結ばれている、大成する者とはそういう物である。

人から怒られハングリー精神を持ち奮闘努力せぬ物にサラリーを頂く資格はない。
何糞やってやろうじゃないか!と奮闘努力し社会貢献をする者のみサラリーを戴く資格を有する。

私も新人の頃多くの諸先輩方々より叱責を受け愛の鞭を振るわれ讒言を多く頂戴した。
今の私があるのもそういう有難い”導き”の賜物であると心より感謝をする物である。

何糞根性で日々昨日の自分を超える事を”常態化”せし者は必ず成功する。
常態行動心理学者たる私がそれを保証する。

望むらくはそういうプロ意識を持った『大物新人』の誕生を望む物である。

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