2012年4月7日土曜日

相手の立場に『立つ』のではなく相手の心に『寄り添う』事が大事

本日の昼食 天丼、カツ丼(母の余り)、日本茶、母手製胡瓜糠漬け以上。

『相手の立場に立つ』事は不可能。何故なら既に其処には相手が立っているから。

其処に立っている人は其処に立つ迄その人にしか歩めない人生を歩みその結果其処に立っている訳でその人と同じ立場に立つと言う事はその人自身が其処に立つ迄に至る人生を追体験せぬ限り不可能且つ追体験自体不可能だからである。

されど類似性の高い経験をする事で経験の共有は有る程度計る事は出来る。

そして何より大切な事はその『共有』により相手の心に『寄り添う事』である。
つまり”相手を理解しようと努めるという事”である。

今回ガス壊疽で片足を欠損し日々の生活も困難を極めている。
その困難さ自体を共有する事は不可能なれどその困難な時の”辛い気持ち”は同じ”辛い気持ち”を嘗て味わった者達と”類似性の高い共有”をする事は充分可能であると考える。

何故なら私の辛さを我が母そして愛方は私以上に感じているからだ。
自分ではなく他者が感じた辛さ以上の辛さを感じる事は簡単に出来る事ではない。

だがその人を真剣に愛し必要とするならばそれは充分可能であると考える。
出来うるなら世界がそういう”感情の共有”が出来ればこの世から”争い”は消えると考えている。

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