我が元には年間を通して実に様々な悩みを抱えた方が来訪される。
セラピストというお仕事は単に”心疾患”を御治しすればよいというお仕事ではない。
心疾患になりかけの人の予病に努めたり、心疾患だと思い込んでいる人の目を覚まさせたり、
或いはその人自身を苦しめる”間違った思考性”の方向転換も重要な仕事の一つ。
10年以上昔の話となるが、ある重篤な心疾患を患う女性を診た事が有った。
当時医大生である彼女は”人を愛するという意味が解らない”という物であった。
生まれてからずっと数々の不幸に見舞われやっと掴んだ幸せも脆くも崩れ去り、
人心不信状態に陥っていた。
彼女は当時”人間は私の飯の種であり性処理の為の道具、愛するなんて価値は無い”と私に豪語していた。彼女の姉が我が同級生で妹を心配し我が元へ連れてきた。
目は虚ろとなり精気を失い”離人症”になりかけていた(躁鬱や対人恐怖も…)。
私は彼女に言った。
”貴女が憎いと思われている”人”というカテゴリーの中に貴女自身が含まれている事を貴女は認識していますか?”と。
彼女は返した。
”私はあの人達とは違います、私は私が大好きですしとても大切だと思っている。
だから私は私を憎みはしません”と…。
私は彼女に言った。
”残念ながらそれは大きな勘違い。
貴女は無意識的に自分に害を成す人間達と自分を重ね合わせ、彼ら・彼女らが嫌う自分という存在その物を嫌悪するようになっていった。
彼ら・彼女らを貴女が愛せないのは貴女自身が貴女を愛せないからである”と…
最初、彼女は激しく頭を振った、”違う、違う、違う”と念仏のように唱えていた。
だが、その行為自体がわが言の信憑性を高める事を彼女自身が充分解っていた。
ひとしきり錯乱し喚き暴れ泣いて落ち着いた後、彼女は私に言った。
”私はもう一度人を、嫌、自分自身を愛せる人に成れるのでしょうか?”と。
私は返した。
”成れます、その為には先ず過去の自分ではなく今の自分を好きになる事。
その為には貴女が何者であるかを貴女自身が正確に知る必要があります”と…。
彼女は言った。
”私が愛した人達は皆逃げるか死ぬかで不幸になっている。
私は不幸を呼び込む女なんです。
そんな自分を知る事は怖くてできない”と。
私は返しました
”それは嘘です。
よしんば今までがそうであったとしてもそれは”刷り込み”が為せる業。
これから出会う人は絶対に不幸にはなりませんし不幸には私がしません。
私を信じついてきてください。”と。
そこから半年、彼女と私の”自分を知る”という旅がはじまりました。
何度も何度も逃げようとする彼女を捕まえ”現実の目の前にいる自分”を認識させ続けそして半年後やっと”本当の自分”を認識するに至り、同時に”自分が好き”だと言える自分となりました。
それから程無く彼女は同じ医大に通う男性と恋に落ち結婚。
今は個人院の院長夫人として夫と共に小さいけれど患者数の多い医院を切り盛りしています。
”他者を愛せないのは自分を愛せない”のと同じです。
人を愛したければ先ず”自分”を会いする事から始めましょう。
そして何より”自分が愛するに値する人間”である事を正確に知りましょう。
偽りの自分ではなく”本当の自分”を自分自身が”認識”しましょう。
それが”愛し愛される人”となる秘訣だと私は考えます。
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