友録申請を出す時私は大抵”友録の末席にでもお加え下されば幸いです”という言葉を使う。
意味は読んで字の如くであるがこれは謙遜でもお上手でもなく本心である。
我が同胞や生徒様方々は私と言う人物をとても高く買ってくださっている。
中には夫婦で拝んでくださっている方も(笑)
だが、そういう方々には大変申し訳無いのだが私の中で私の地位はすこぶる低い(笑)
先ずは相手が居て、それから私という順番であって、常、自分よりも相手が先に来る。
奥ゆかしいとか謙虚とかではなく自分の中では二番手、三番手が楽だからである^^;
一番目と言うのは何をするにしても注目されるしトップを取って当たり前、
下がればボロカスに言われるのが使命のような物。
嘗て私もお水の世界に首を少しだけ突っ込んでいた人間故お水の競争意識の高さは一応知っているつもりである。
だが、私は其処で何が何でもトップに立とうとか少しでも上に上がりたいという意識は微塵も無かった。元々高校時代の先輩が余所の店へホストを数名ヘッドハントされ、人員が足りないから補欠で入ってくれといわれて入った物だ。
お客の為でもお金の為でも名誉の為でも誰の為でもない、私にとっては先輩の顔を立てたいと言う只それだけであった。
故に変な過当競争なんぞに一切の興味関心は無かったし加わるつもりも無かった。
お客は金持ちのマダムや女性実業家が多く所謂”叱られなれてない方々”だった。
私の”曲がったことが嫌い”という性格は今も昔も変わらない。
それが例え”お客”であったとしてもだ。
お客であろうが無かろうが間違った事をいえば訂正するし時には頬を叩く事も有った。
それで首にするならして貰って構わないと思ったし私自身間違った事をしたという意識は全然無かった。
只、一つ…”本気でその人の為にしてあげる事があるなら例え切られてもやりぬく”
それだけは心に決めていた。
数多有るクラブの中で当店を選んで下さった事は感謝の極である。
例え田舎の場末の他に遊ぶ所なんぞ何も無い場所であったとしてもである。
故にこちらも”命がけ”で接客をさせて貰った、それが私なりの筋の通し方であった。
だが何故か指名は一向に減る気配を見せず結局その店が閉じられるまで私はトップのままだった。
今、私の後輩方々はその世界では少しは名の知れた存在となっている。
過日もそんな後輩に中洲でバッタリ会い全員整列の中胃の痛くなる思いをしながら男臭いアーチを潜って焼肉やを後にした^^;
そしてセラピストとなってからも”末席主義”は変わらなかった。
何故なら”此処が彼ら・彼女らにとって最後の砦”の場所となる事が多かったから。
故にあちらも崖っぷち、此方も末席だから崖っぷちである。
互いが互いの端の崖っぷちに立っているのだからそりゃあ”真剣その物”である。
相手が落ちれば私も連なって落ち、相手が上がればそれに連なって私も上がる。
常、一心同体で何をやるにも”真剣”に事に当たってきた、そこだけは胸張って言える。
私は友録申請以外の場所でも”末席に置いてください”と常言っている。
それは相手が直ぐに自分を切れるようにする為だ。
”ど真ん中”に置いてもらっては相手も私と言う存在を外し難いだろう。
だが、”末席”なれば一寸外れればもう其処は”外”である、外しやすいという物。
もし自分という存在を受け入れられないのなら直ぐに輪から外して貰っても構わない。
それは”どうでもいい”という意味ではなく”その人の負担にはなりたくない”という事。
縁有って例え出会ったとしても経年による”思考のズレ”は致し方ない。
最初は”同じ夢”を見ていたとしても徐々に”夢の方向性”が変わる事だってあるのだ
その時、その人の心の”ど真ん中”に私が居たら相手も辛いではないだろうか。
勿論”ど真ん中”に置かれる私とて辛い、私とて生身の人間である、”人の痛み”位判るつもりでいる。
だからこれからも私は”末席主義”を貫くつもりで居る。
それが私の出来る唯一の”心遣い”だと信じるから…。
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