両下肢機能の全廃に水頭症、床ずれとアトピー性皮膚炎と戦いながら日々日本全国を心を患う人を治す為縦横無尽に駆けずり回っている。
だが私はそれを売りにした事は一度も無いしこれからもそれを売りにするつもりは更々無い。
大学時代の友人Iのエピソード。
『障害』をテーマに話を皆でしていた時の事、私自身もカテゴリー的にはその中に入るのだがその友人Iの台詞が利いている。
『そっか、お前も一応その範疇の人間だったな。すまん、お前は車椅子と一体でお前だからその範疇にお前が居る事自体認識がなかった』
氏とは今も親交がある、私の数少ない『気の置けない友』の一人である。
私はハンディキャッパーとして生を受け一度も自らがハンディキャッパーである事を意識した事はない。
逆を言えばそれ故に我をハンディーキャッパーと見、侮蔑する者の存在を許さない、社会的乃至は肉体的制裁で以て叩き潰してきた。
私は私の行動理念を間違っているとは思っていないしこれからもそれを変えるつもりは無い。
我が元へ来られる方々も形は違えど心に『ハンディ』を背負った方々である。
それ故に『ハンディを背負う』事の辛さ、悲しさ、悔しさは痛いほど解る。
簡単に一言で片付けられないほどそれは辛く苦しく悲しい事なのである。
故に私は私の持てる全ての力もてそれを全力で行使し病と闘いそして駆逐する。
同胞は言う、『何故先生はそんなに熱いんですか?』と。
私は答える、『君の存在が大切だからさ』と。
同胞は更に言う『何故私の存在が先生にとって必要なのですか?』と。
私は更に答える『君が私を必要としてくれたからさ、私は私を必要とする者を必要とし私を愛してくれる者を愛するそれだけさ』
大抵の場合此処で同胞は泣きます^^;。
そして私は同胞を黙って抱きしめその事により更に絆は強くなります。
その事が自然治癒力を高め同胞の社会復帰を早める結果となります。
ハンディを背負う辛さはそれを背負った者でしか中々理解は難しい。
私は自らがハンディを背負っている事をこれからも誇りに思いつつ多くの同胞の心の病を駆逐するお手伝いをさせて戴きたいと願っている。
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