言葉にはそれぞれ”表”と”裏”の意味がある。
賢い(馬鹿じゃない)綺麗(不細工じゃない)などである。
と同時に言葉には固有の”イメージ”という物がある。
例えば”1番”という言葉。
”1番賢い””一番偉い””一番悪い””一番不味い”など…。
つまり”1番”という言葉には”是か非か”しかないという訳である。
”+か-か””0か1か”である。
嘗て、この”1番”という言葉のインプリンティング(刷り込み)により我が門を潜った少女が居た。
彼女は思い鬱を患い大学在学中のゼミ旅行で飛び降り自殺未遂を企てた程。
幸い彼女の先輩(我が同輩)がいち早く気付き一命は取り留める事が出来た。
その後、彼女の同輩(我が後輩)に勧められ我が門を叩く事となった。
私は先ず彼女の”0か1か”という極端から極端へという思考性から変える事にした。
あらゆる”中間”を見せて”中間の存在”という物を彼女の脳に植えつけていった。
更に彼女の中で自分を苦しめていた物それは”真面目すぎる”という事であった。
先の”1番”という文字のイメージの中には”真面目”とか”潔癖”という物も含まれる。
彼女のその余りに”潔癖すぎる性格”故、あらゆる物が彼女にとっては”汚らわしい”物となってしまっていたのだ。
当然”異性”もその部類に入って居た。
だが、先般此処で何度も述べているように私は”男の匂い”を消す事が出来る人間。
(と言うか後輩いわく”男の匂いがしない”とまで言われた人(TT▽TT)ダァー )。
故に彼女の知人男性の中で唯一私だけが”穢れて居ない存在”として彼女の目には写っていた。
そのイメージを徐々に私は変えて行ったのだ。
つまり彼女の中で徐々に私の存在を”汚して”いったのである。
物凄く微調整をしながらの”汚し”故少しでも調整を間違えば私もアウトな人になる。
それでは今までの苦労が水泡に帰す為、それだけは細心の注意を払っていった。
そして同時に当時の私の”穢れ”と同じ”穢れ”を持つ異性を彼女に近づけたのだ。
そうすれば”私の穢れ=異性の穢れ”という図式が成り立つ。
そうやって彼女の”男性嫌悪症”を私は徐々に矯正していった。
数年後、彼女は彼女を我が元へ連れて来た”彼女を心から愛する同級生”と結ばれ、
今は地方銀の行員として忙しい毎日を送っている。
”是か非か”しかなかった彼女の姿は今は何処にもない。
男性嫌悪症だった彼女も今は何処にも居ない。
”言葉の持つイメージ力”という物は存外馬鹿に出来ない物なのである。
今もこの”言葉の持つイメージ力”に悩まされる多くの同胞を私は抱えている。
彼ら・彼女らと共にこの”言葉の持つイメージ力”を逆利用し完治させたいと願っている
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