2010年10月24日日曜日

役割の心理学或いはロールプレイセラピー~人生の主役はアナタ~

過日愛方とお茶をしている際、とんでもない話を聞いた。

私が世情に疎いだけだと思うのだが最近の学芸会は『全員主役劇』という物をやるらしく
誰か一人を脇役にすると”差別だ”という事で所謂モンスターペアレントが騒ぎ出す為に、
”ならばいっその事全員主役にしちゃえば問題はなくなる”という超短絡的思考において
”全員主役劇”なる演目をやるらしい。甚だ呆れるばかりである。

そんな劇に何の意味があるのか?馬鹿親共は”ウチの子が主役よ”と喜ぶのだろうか?
んなもん”全員主役”って事は”全員脇役”ってのと同義ではないか^^;甚だ情けない話。

我が元にもそんな”人生の脇役”を押し付けられた人が年間数多く来訪される。
所謂”そんな役回り”という奴である、幼少の頃から”お前は○○だ”と勝手な思い込みで”刷り込み”された挙句、本当に”自分は○○なんだ”と思い込むようになる。

だが勿論その人が”○○”な訳はなく自分の中でずっと”違和感”を感じて生き続ける。
これって結構思っている以上にしんどい事で”本来の自分じゃない自分を生きる”というのは実は相当ストレスの溜まる物である。

しかもこれが”本来の自分じゃない”と自覚されておられる方ならばまだマシな方。
でもそれを”本来の自分じゃない”と自覚されておられない方はもっと難儀である。

自分じゃずっと”違和感”を感じているのにそれが”違う”とはどうしてもいえない。
そういう方が人格剥離や解離性精神障害を患って我が門を叩かれる事となる。

最悪の場合、二重人格や多重人格などになってこられる重篤なケースもある。
”本当の自分じゃない自分”を長く演じ続けている内に”本当の自分”が解らなくなり
それが二重だの多重だのに進化しちゃった例である。

こうなると相当厄介である^^;。
先ずその人の”元の人格”を見つける作業から始めねばならない。

今までの精神医学では表出する人格を一つ一つ剥離していく方法を取るがこの方法だと本当に”無人格”となり”廃人”同様になってしまう、これでは本末転倒である。

私は逆、多重の場合は一つ一つの人格を”認知”し”許容”しそして中に納めていく。
出たがってる人格に”解った、お前の人格は俺がちゃんと認めた、だから安心しろ”という感じ(実際はそんな簡単な物ではないが)で一つにまとめていく作業をする。

そんなに重篤な同胞でなくても”刷り込み”による人格障害を起こしている人は多い。

その人達全員に言う言葉”アナタの人生の主役はアナタ、脇役でも副主人公でもなくアナタ自身がアナタの人生の主役なのです”と。

最初はピンと来られない方が多いのだが”ロールプレイセラピー”により”主役”をずっと演じさせ続けることにより”自分は主役なんだ”という意識を強く持つようになる。

そうなると”脇役”に今まで甘んじていた自分が段々と”嫌”になってくる。
自己が表出してきて”自己表現欲求”がどんどん高まってくる。

”ああもしたい、こうもしたい”という欲求をどんどん満たしていく。
すると”私は主役、俺は主役なんだ”という自我が目覚めてくる。

すると自信が芽生え”正確に自分を分析する力”も出てくる。
”脇役”だと諦めていた夢や人間関係も妥協しなくなってくる。

その”夢”に向かって粉塵努力すると”夢”が一つではない事に気付く。
何故なら”人間の多面性”にその人が気付くからだ。

”夢”は一つじゃない、正確に言えば”夢”も又、その人の進化と共にレベルアップしていく物である。レベル5の時に抱いて居た”夢”はレベル10となると”夢”ではなくなり、
単なる”通過点”となる。そして更なる”夢”がレベル10の段階で出てくるのである。

最初自分の”夢”であった物は振り返れば遥か後ろに有りその道程を自分が知る。
そしてその道程を知る自分を振り返り成長してきた自分を知るのである。

今まで”損な役”ばかりしてきた皆さん、ここらでそろそろ”主役”を張りませんか?
”人生の主役”はアナタしかいない、アナタしか”人生の主役”は演じられないのです。

もっともっと”アナタ”を生きてみようではないですか。
そのお手伝い、私がさせて戴きます。

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