2010年10月24日日曜日

引篭もりと連鎖の心理学~或いは錯視と摺込の心理学~

嘗て姉妹とその親戚という一族郎党全ての面倒を診た事がある。

最初に我が門を潜ったのは同級生のお姉さんの方。
その後そのお姉さんの紹介で妹が我が門を叩き、それに次いで御親戚の方まで…。

珍しいケースと思われるが実際は然に非ず。
『刷り込み』と『錯視』の観点からすれば至極当然の事と言わねばならない。

鳥は生まれた時、最初に目にした物を”親”と思う習性がある。
それを雛形とし鳥は成長して行く習性があるが何もこれは鳥に限った事ではない。

人間にも是に似たような習性がある、それが『擦り込み』という性質である。
先の姉妹なんぞはこの『刷り込み』の悪い面が表に出た結果と言わざるを得ない。

心疾患を患う姉を常ずっと見ていた為、妹にしてみればそれが”当たり前”となり、
いつしか自分も”目に写る姉の姿”が自分の姿となってしまったという訳。

人間の視覚情報という奴は意外と厄介でそれが錯視と解って居ても騙されてしまう。
正確には”無意識的に脳に刷り込まれそれが頭の中で常態化してしまう”訳である。

別のケースも有った、こちらはもっと厄介で小・中・高の三兄弟全員『引き篭もり』。
だんご三兄弟ならぬ引き篭もり三兄弟である、全く以て笑えない状況だ。

これも”擦り込み”による錯視情報が原因である。
兄が最初に引き篭もりその後次兄が引き篭もり、最終的に三男までも引き篭もりに。

兄の姿が弟の中で”常態化”しそれが異常な物であるという認識が薄れていった。
目の前に居る兄が楽しそうに見え自分と比較しその結果兄の方へ吸い寄せられた…
同じ事が三男にも起こり結果三人ともが引き篭もりとなった訳だ。

この場合一般的には上から順番に表へ出すのがセオリーだが私は敢えて逆の方法を取った、グループ療法に於いては必ずしも最初に心疾患になった者を治すばかりが成功するとは限らないからである。

寧ろ『強印象』を与える意味では逆の方が効果がある場合もある。
彼らの場合もそうであった。

三男は上二人と比較してまだ引き篭もりになって日が浅い、まだ外への思慕もあり引き篭もりから脱却させるには尤も三人の中で適していた。

先ず今の状態が続けば将来的な不安要素が増える事を心に”植えつけ”不安を煽り
更に自分が先に社会復帰すれば上二人よりも優位に立てるという人間の地位欲求を
刺激しさせ三男を徐々に上二人から離れさせていった、その後三男は社会復帰。

小学校へ通うようになった。

そして此処からが本領発揮。
上二人に意気揚々と学校へ通う三男を見せつけこういった。

”三男は既に社会復帰を果たした、君達は三男よりも年齢は上だが下に負けている。
それでも君達は構わないのか?悔しいとは思わないか?と…。

先に三男に社会復帰を促したが施術のやり方としては三人同時で施術し見た目には”同じような施術の仕方”に見せていた事も上二人の”野心”を駆り立てる事に…。

”例えるならLv.10の遊び人にLv.20の勇者が負けたのと同じである。君達はそれで平気なのか?そんな訳ないよなぁ”と彼らの”野心”を更に煽りに煽った。

最初は気にも留めない風であったが毎日楽しそうに学校へ通う三男を見るに付け、段々と悔しさが上二人に芽生え初め徐々にではあるが外へ出るようになっていった。

楽しそうに学校へ通う…実は是もフェイクであった。
敢えて楽しそうに学校へ通う”フリ”を三男には頼んであった。

その事で焦り迷う二人を見てより三男は”楽しそうに学校へ通うフリ”が上手になりその結果”本当に学校へ通う事自体”が楽しい物へとなっていった。

これも実は三男に私が課したセラピー効果の一つ、刷り込みである。
本来彼らにとって楽しい筈ではない学校という場所を”演技”で楽しい風に見せる。

その”演技”が脳に知らず知らずの内に”楽しい物”という認識でもって刷り込まれる。
それが”演技”であった物が”本物”に脳の中で変換されはじめたのである。

と、同時に同様の”刷り込み”は上二人にも適用される。

毎日”楽しそうに学校へ通う弟”を見ながら”本当は学校って楽しい所なのでは?”という風に”刷り込み”をさせて行ったのだ。

最初は”いいや、違う学校なんて楽しい所であるはずが無い”と脳は一旦抵抗を示すも”視覚情報”には逆らえぬ。

徐々に彼らの中にある”学校は楽しくない場所”という所から”学校は面白い場所”へと変わって行き最初次兄が学校復帰。その後長兄も下二人に促され学校復帰を果たした。

両親は涙を流して喜んだ。

寺子屋のような引き篭もりの方々を収容する施設にも入れたが結局駄目だった。
カウンセラーの先生や精神科へ受診するもやはり失敗、途方に暮れていたとの事。

引き篭もりの方を表に出す方法は実は是だけではない。
これはあくまで一例に過ぎない。

その人、その環境、その状況により無限のバリエーションが有る。
このケースは偶々このやり方が功を奏したというだけの話。

引き篭もりの方を社会復帰させるやり方もケースバイケース。
一人の人間に幾通りものやり方が有る。

我々専門職はその時々に応じてやり方や方向性を微妙に変える。
それが結局社会復帰へと繋がるのである。

薬物療法や対面セッションだけでは引き篭もりは決して表には出てこない。
最終的に必要な物、それは”愛”だと私は思っている。

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